全ては犬の見ている夢だったらいいのに

毒家族の狂ったエピソードと現実的な家族終い

スピリチュアルなことと神頼み

人並みに星占いを読んだり、神社などがあればお詣りしたり、お墓参りをしたりということをやっていると思うが、占いやおみくじはその時納得した内容でもほぼすぐ忘れてしまうし、いわゆるガチなスピリチュアルとは一線を引いている方かと思う。

 

私には守護霊や亡くなった人の霊を信じたくない理由がある。

そういう話は大抵亡くなった家族やご先祖様が見守ってくれるというストーリーで毒親だったり不仲だった場合はあまりに理不尽だ。

心の安らぎになっている人もいると思うので信じている人を全く否定しないが、自分に関しては信じたくない。

 

死んでからも付き纏われるのはまっぴらだし、死んだ途端良い人になるわけないと思うし、生きている間憎んでいた人が私の幸せを願うわけがない。

会ったことがない祖父や祖母が守ってくれてるとしたら、どうしてこんな試練を与えるのかと思う。

生き霊だって迷惑すぎる。

お祓いをしても目に見えて汚れみたいのが取れるわけじゃないので、考えれば考えるほど不安になってしまう。

まして生きていたら物理的に距離を取ることができるけど、相手が死んでしまったり生き霊として付き纏われたりしたとしても見えないのだから、側に来られてもわからない。

もう“自分の精神状態による”ってことになってしまう。

 

良い霊だけついてくれるというのなら信じたいけど、何をもって正しいのかわからないし、自分にとって良いことと人にとって良いことって別の場合もあると思う。

 

なので、私にとって現実的に解決してくれる病院や弁護士さんの方が救いになったりする。

 

いつだか紹介されて占ってもらった時、お父さんのお墓参りはしてね。と言われたが「お墓を教えてもらえず知らないんです。その場合どうしたら…」と話したら

占い師さんが黙ってしまった。「それは…しょうがないわね…」と言われて終わり。

どうしてお墓参りに行った方がいいのかは教えてもらえなかった。

父は生前も私に連絡することもなければ興味もなかったので、生きている間の人格がそのままであれば、お墓参りに行かなくてもなんとも思わないだろう。

 

亡くなった人の霊言は大抵生きている人が都合よく紡ぎ出している。

これは残された人によっては良い面もあるから、仲良し家族のそういうエピソードに関しては全肯定することにしているけれど。

 

 

一方で、京都の縁切り神社には行って強く強くお願いをした。

その界隈では有名な「安井金比羅宮」だ。

友人に誘われて別のレジャーもあったので、すぐ誘いに乗った。

この時は一旦スピリチュアルなものを懐疑的にみるのをやめて、しっかり下書きをして手順通りに心からきちんと祈った。

我ながら困った時の神頼みすぎて申し訳ないけども、私は自分でやれることはやったので、もし神様がいるのであれば本当にお願いしたい状態だった。

 

その下書きを考える時、自分が何を強く願っているのかも再確認できた。実は願い事ってそこが結構重要だったりするのかなぁと思う。

母と兄の実名も書いた。今は完全な縁切りといえる状態ではないので、今ある問題が解決したらきちんとお礼してこようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

起こるべきして起こった未来

父は母のケガによる入院をきっかけに、ある日家を出ることになり二度と家に帰れないまま亡くなってしまった。

年を取るとそんな日は突然くるものだな…とも思うが、私ははるか昔から予兆があったと思っている。

予兆というか両親の生き様がそういう結果をもたらしたのだろうと。

 

 

父は亡くなる15年くらい前、白内障緑内障の手術を受けた。

それをきっかけに私は近い将来、免許の返納をした方がいいのではないか?

生活が不便になるのであれば動けるうちに便利な場所への引っ越しも視野に入れた方がいいのではないか?

など、両親に何度も訴えたが「大丈夫」の一点張りで言うたびにキレられていた。

 

目の手術は複数回受けていて治療を継続していたようだが、二人とも深刻に捉えておらず、その内容を聞いてもはぐらかし、隠していた。

 

そうこうしているうち、父に初めて認知症の症状が出ててしまい母はパニックになり

泣いて「お父さんがおかしいの!」と私や親戚中に訴えてきた。

目の手術から2~3年ほどだろうか、今から12年くらい前だったと思う。

 

家の中にお侍さんや子どもがいるなどの幻視症状やトイレを失敗してしまうなどの症状で、病院に行ったところ「レビー小体型認知症」と診断された。

薬を処方され飲み続けていたところ、母曰く徐々に症状は改善されたらしい。

そして勝手に薬と通院をやめ要介護認定も切れてしまった。

 

驚くのはその間もその後も免許を返納しておらず、母の足として車の運転をしていたことだ。

私は認知症のことを知った直後、再び何度も返納をお願いした。

「誰かを殺すことになる。」と強く訴えたが、面倒くさそうに「もう治ったの。大丈夫。うるさいわね!」とキレられ免許を返納することはなかった。

 

そんな時、母が電動自転車に乗って交通事故にあった。それまでも何度か転んでいたが、その時は走っている車と衝突したとのことだった

 

この時は結局私が全面的に手続きから介護、退院の付き添いまで全てやりきり、兄のDVなどもありとても大変だった。

 

noemie.hatenablog.com

 

退院後、とにかく走り出しが強い電動自転車はやめた方がいい、母の入院中お金を引き出すこともタクシーを呼ぶことすらできないくらいの生活力の父の免許も返納した方がいいと訴えたが喉元過ぎれば熱さを忘れるで、「わかった。大丈夫。うるさい。」の繰り返しだった。

 

事故の後、しれっとまた電動自転車を買い直し、変わらず父の車で買い物などに行っていたが、ついに父が車の事故を起こした。

 

それも叔母からのメールで知った。人を巻き込んでいたら…と心臓が止まりそうになりながら母に連絡したところ「タイヤがバーストしたの。バースト!知ってる?バーストって。」と何度も繰り返し、必死にタイヤのせいにしていた。

 

父の運転で母が後部座席に座って買い物に行った帰りガードレールにぶつかったみたいだが、人を巻き込まなかったのが不幸中の大幸いだった。

母も顔などにケガをしてメガネも破損したが、周りの人がいかに自分の為に動いてくれたかをケロっとしながら嬉々として話していた。

免許の返納をしなかったことを全く反省していない。

 

そして「お兄ちゃんには言わないでね」とも言っていた。

兄は常に家族を攻撃する理由を探しているため、知られたら強く怒鳴られることが予想されるからだ。

兄は心配からではなく、人の「失敗」が大好物でここぞとばかりに攻撃する。

もちろん私は自分から兄にコンタクトを取ることは皆無なので言っていない。

 

この事故で両親は軽症だったが車は大破してしまい、親族からの説得もあり結果免許返納となった。

結局事故を起こすまで返納できないなんて、なんて愚かなんだろうと思う。

父は目が悪く認知症も始まっており車のメンテナンスもきちんとできていない。

母が隠蔽した為、詳しく正しい事故原因はわからないが、父がハンドル操作を

誤ったのだろうと推測されるし、万が一タイヤに不備があったとしても

メンテナンスできていないのが悪いと思う。

自業自得以外なにものでもない。

本当に本当に他人を巻き込まないで良かったと思う。

免許の更新をどうやってすり抜けたのか未だに不思議だが更新する前だったのかもしれない。

 

 

その後、また母は電動自転車で転んだ。今度は一人で道端で転んだらしいが

数年前の交通事故の傷を痛めてしまったらしく痛みが続いていたそうだ。

そしてある日病院へ行ったところ、手術を勧められ入院することになった。

 

それを知ったのは、入院二日前の親戚の子の結婚式でのこと。

両親と私を呼んでくれ、母はその為に入院を延期したと言っていた。

会場で会った母は元気そうで、入院も「3泊4日だからへーき」と何度も言っており

この時も「お兄ちゃんに内緒ね」と言っていた。

私が兄に連絡取ることは絶対にないし入院も「3泊4日」で父が付き添えるとのことだったので

私は全く関与するつもりはなかった。

 

しかし式の最中、父の行動がおかしいということに気づいた。

フラワーシャワーをする為にみんなで花を手に持って、新郎新婦を待っていたところ

父が突然全く知らない人に投げつけたのだ。

びっくりして「ごめんなさい!ちょっと認知症がありまして…」と謝って花を回収した。

また、親戚から父がトイレで迷子になってボーっとしていた。ということも聞いた。

 

思ったより認知症は進行しており、これは母の入院手術などに付き添えないだろうとのことで

急遽手術の時だけ私が付き添うことになった。

 

そして手術当日、私は休みをとり朝から病院で母に付き添った。

無事手術が終わった後、先生と看護師さんのお話を聞いて驚愕した。

 

「入院は3泊4日ではありません。大体1~2ヶ月近くかかりますね。」と言われてしまった。

あれだけ何度も「3泊4日」と聞いていたので、何かの手違いだろうと「え?本当ですか?」と聞くと

看護師さんもと先生から、ため息まじりに「お母様に何度も伝えているんです。

どうしても認めたくなかったみたいで…。こちらからはきちんと何度も伝えています。」と言われてしまった。

 

長期の入院を認めたくないから「3泊4日」ってことにした!?

今まで様々な母のエキセントリックな言動を見てきた私もこれにはかなりびっくりしてしまった。

 

母の信じたいものしか信じない。という話を内容は重複しますが別途書きました。

noemie.hatenablog.com

 

まず頭によぎったのが父のことだ。母は「3泊4日」と伝えており

恐らくそれくらいの準備しかしていない。

ほぼ自分で何もできない認知症の父を2ヶ月一人にしておくわけにはいかない。

4日で帰ってくるなら最悪お風呂に入らなくても洗濯をしなくても

家にあるものを食べていれば大丈夫だろうと思うが、1~2ヶ月となると

事故や火事を起こす心配もある。

正直、私は父の体のことより火事を起こさないかを第一に心配してしまった。

 

私はその日すぐ病院の相談員さんに相談し、アドバイス通り地域のケアセンターにも

駆け込み、父が安全に生活できる状況を作りだす為奔走した。

実家にも急いで寄ったが、すでに父は自立した日常生活をおくれないと判断できる

状況だった。もちろん母の入院が長引くことには驚いていた。

 

この件についても別途日記と共に掲載することにする。

 

とにかく、父はこれっきり家に一度も帰ることなく亡くなってしまった。

病院の受診があるよ。といって連れ出した時以来。

父は「仕事があるから」(※実際仕事はなく認知症の症状で)と病院に行くのを嫌がっていた。

「仕事は明日やろう。今日はお母さんの病院だし会えるよ」となだめて半ば強引に連れて行った以来。

 

私はできることは全部やった自信がある。

無関心だった父に対して好きという感情はなく、酷いことも言われ

むしろ苦手であったが家で一人で居たら不潔になり、事故にあっていたかもしれない

父の尊厳を守る為、周囲の人に迷惑をかけない為、血縁である娘の私がしっかり任務を遂行した。

 

それでもこの時のことを思うと後悔とは違うやりきれない想いが込み上げてくる。

 

もし15年前、母が父の目のことに向き合っていたら?

もし12年前、母が父の認知症に向き合っていたら?

もし動けるうちに免許を返納して、生活に便利な場所に引っ越していたら?

もし母の計画入院の時、きちんと父にとって快適な施設を用意してたら?

 

もし…と思うことがたくさんあるが、過去を思い返すと元々そういう判断をしてきた人達だった。

もしも…なんて未来はなかった。全部繋がっている。

自分に都合が悪いことは、絶対に向き合わず全部隠してなかったことにしてきたんだから。

 

生きてきたようにしか死んでいけない。

起こるべきして起こった未来だったと思う。

 

住所・連絡先秘匿についての対策と支援措置③

noemie.hatenablog.com

 

支援措置を申し込んだ区役所で、いくつかデメリットも教えてもらった。

 

まず

直接支援措置を申し込みに来た人でなければ住民票の写しなどを取ることができない

つまり、夫が単独で取りたい場合は支援措置を申し込む段階で一緒に行かなければいけなかった。うちは夫が忙しかったのもあり、申込時の平日一緒に区役所に行けなかったので、もし住民票など必要があれば私が取る。ということにした。

 

あとは

・窓口の時間延長や休日の交付請求

・郵送での交付請求

・各出張所での交付請求

・他自治体窓口における広域交住民票の写しの交付請求

・申出者本人が依頼した弁護士などからの交付請求

・マイナポータルでの情報提供など記録表示及び自己情報表示

ができなくなる。

 

簡単にいうと、ロックをかけた住民票などは本人(または一緒に申請に来た申出者)が直接自分の区の窓口の通常営業時間内に来ることでしか取れない。

せっかくマイナンバーを作っても、コンビニや出張所で取ることができない。

マイナンバーと保険証を連携することもできない。

 

つまり

・住民票などは区役所の窓口の平日の営業時間に自分が取りに行く

マイナンバーと保険証は別々に所持する

だけだ。

 

少々不便だが、住民票などが必要な場面はそんなに多くないし、

母や兄に色々と書類を取られ、怯えて生活するくらいなら絶対にロックをかけた方がいい。

 

問題はこれを一年更新でいつまでやるかだ。

親の権限はとても強い一方で、元々兄弟には住所の載った戸籍の附票などを取る権利はない。

なので母が亡くなって相続云々が終われば、何もしなくても兄からは逃れることができる。

「相続問題が終わってから」が重要で、それを理由に書類を取られてしまう可能性があるので慎重に対応しようと思う。

 

万が一兄が先に亡くなれば高齢の母単独では襲ってくることはないので、その時も解除できると思う。

 

自分がこれらを手続きしながら、兄弟に限らず“元気で行動力のある狂人”に付き纏われている人は本当に大変だなと思った。

本当に人を攻撃してくる奴らはまとめて……(以下自粛)

毒母エピソード【留学未遂】

私は子どもの頃英語を習っていたのもあり、高校では英語が得意で

一応英語だけは常に学年上位の成績をとっていた。

そして将来は英語を使った職業につきたいと思っていた。

 

ある時、海外の高校に1年留学しても日本の高校の単位として認められる制度が

あると知りインターネットがない時代ではあったものの、自分で色々と調べてみた。

お金がかかることなので、親に相談しなくてはならないが中でも費用が安かった

カナダであればお願いできるかもしれないと母に相談した。

 

兄が小学生の時にアメリカにホームステイしたのもあったし

母は海外に憧れがあったので私ももしかしたらお願いできるかも。と思ったのだ。

 

母は私が学年一位の成績をとったこともあり、留学試験を受けることを割とすんなり了承してくれた。

私はすぐ先生に相談すると、同じ制度を利用して留学した一つ上の先輩を紹介してくれた。その先輩に電話で色々と話を聞き、試験の日まで猛勉強し情報を集めた。

 

結果はなんとか合格。

もっと勉強する必要があると、留学エージェントの方に面談で言われてしまったが

とにかく留学できるとのことで私は本当に嬉しく舞い上がり勉強への意欲も満々だった。まだ見ぬホストファミリーとの生活もあれこれと想像した。

 

合格の知らせをもらってから1〜2週間経った頃、何も連絡がないので

母に「留学のことってどうなったのかな?」と聞いたところ

 

「あ、あれ?断っておいた」

 

とあっさり言われてしまった。

私は耳を疑ったが、母はシレっとしている。

「行かなくてもいいじゃない」と笑っていた。

 

あまりのショックに部屋で大泣きした。

今更母に食い下がっても絶対に行かせてなんかくれない。

なぜ、私と話し合ってくれなかったのだろうか。

なぜ、勝手に断ってしまったのだろうか。

私が先輩と電話しているのを聞いていたのに。努力していたのも見ていたはずなのに。

 

母は最初から行かせるつもりなんかなかったのだ。

私の夢なんかどうでもいい。

母は私が幸せになることが嫌いだ。

楽しみにさせといてガッカリさせるやり方、母はスカっとしたのだろうか。

 

私はそれ以来勉強に力が入らず、英語への関心も徐々に薄れ成績が下がってしまった。

「めげずに頑張って将来自分のお金で行けばいい」と悔しさをバネに前向きになれれば

良かったのだが、完全に後ろ向きになってしまった。

何を目指していいのかもわからない。

目指している途中でまた突き落とされるかもしれない。と色々なことを諦めてしまうようになった。

 

今思えば勿体無い。若さだけで挑戦できることがたくさんあったはずなのに。

でも私には気力がなくなってしまっていた。

 

 

話は変わるが小学生の時、突然母に私立の小学校の編入試験を受けさせられたことがある。

私は公立の小学校に通っていて学校になんの不満もなかったし、それなりに楽しかった。友達もいるのに突然転校なんてしたくない。

 

当然、試験勉強もしたくなかったし落ちた。

50人くらい受けて1人か2人くらいしか受からないと言われてたが

母は私のことを思い切り否定した。子どもながら自分はダメな人間だと思った。

 

やりたくもないことをやらされて、できなければ否定する。

やりたいことに挑戦しようとしても否定する。

 

私はどんどん無気力になっていった

 

住所・連絡先秘匿についての対策と支援措置②

 

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支援措置の申請の前に、母と兄から手紙については相談していた警察に話しておいた。

その手紙の内容から訪問してくる危険性もあるとのことで数日近所のパトロール

ついでにうちの周りも見てくれていたようだ。

警察の方曰く、パトカーを目撃しただけで未然に防げることもあるとのことだった。

そして防犯のお守りとしてピーポ君のキーホルダー、監視シールなども頂いた。どれも実際の防犯には役立たないが、何だか心強くありがたい。

それでも一〜二ヶ月ほどは夫と共に十分に警戒した。

 

あとはインターフォンに「Google Nest Doorbell」をつけることや玄関周りに

防犯カメラをつけることも検討したが、うちの周囲は人の目が多くあること、

カメラも多く設置されていることからすぐに設置はしなかった。

 

その後、引っ越しを検討し、少し迷いはあったが何とか引っ越しをした。

 

そして、区役所に行き住民基本台帳や戸籍の附票などの閲覧を制限する為の

支援措置を申し込んだ。

 

うちの場合は度重なる兄からの嫌がらせ、恫喝、待ち伏せ、脅迫などを

都度警察に相談して記録にとってもらっていて、私が常に畏怖していることから

すぐに支援措置の許可が出た。

 

母も兄の嫌がらせに加担(私の情報を教えるなど)していること、親の権限が強いことから母と兄を加害者として記載した。

 

そして

住民基本台帳の閲覧

・現住所の住民票の写しなどの交付

・前住所の住民票の写しなどの交付

・戸籍の附票の写しの交付(本籍地と前本籍地)

・選挙人名簿の閲覧

 

の支援措置(閲覧制限)を求めた。

 

本籍地は既にバレてしまっているが、以上の制限をすれば

現住所は知られることはない。

本籍地を移すことも考えたがメリットはなかったので本籍地はそのままにした。

 

弁護士など8士業は職務上とれるが、理由を必要とし

依頼者が加害者であれば開示されないとのことだった。

 

また、今年(2022年)から固定資産についても閲覧制限ができる(※区役所の窓口の方談)とのことで持ち家の人はぜひ手続きをした方が良いと思う。

引っ越しをしてもそこに自分の持ち家があると把握されていれば、

何をされるかわからない。

 

支援措置の流れは

(※私の場合。詳しくはまず最寄りの区役所に相談した方が良いと思います。)

(事前に問題を警察の生活安全課に相談しているとスムースにいきそうです)

区役所へ支援措置の相談

許可が出たら書類に書き込み、管轄の警察署に電話をして持っていく(生活安全課)

警察署で書き込んで頂いた封書を未開封のまま区役所に持っていく

問題なければ持って行った日から支援開始

(有効期間は一年間で一年ごとに更新)

 

 

支援を開始してからは定期的な警察への相談は一度ストップした。

だが、相談履歴はストップした日から3年保管されるので

何かあれば履歴を取り寄せることができる。

 

実際、昔のものは取り寄せてあり弁護士さんに提出済みだ。

 

 

兄は会社に勤めており、兄嫁に色々な事がバレるのを恐れていることから

会社に勤めていて離婚していない限り、大胆な行動に出ることは

ないかもしれない。

だが、それでも十分大胆な警察沙汰は起こしているし、前述の通りかなりの狂人だし

世の中的にも結婚して子どもがいる、ある程度地位のある人が恐ろしい事件を起こしていることから全く油断はできない。

何より一度でも「殺す」と言われた限り、絶対に関わってはいけない。

 

母に関しては高齢で単独で襲ってくる可能性は非常に低いものの

「親」という権限は非常に強く、その権限を兄が代理で利用した場合などを

考えるときっちりガードしておいた方が良い。

 

とにかく、自分が健全に前向きに生活できる為にやれることは全部やる。

 

次は支援措置のデメリットなどを書こうと思う。

 

③へつづく

 

住所・連絡先秘匿についての対策と支援措置①

自分の住所や連絡先を知られていることが、毒親や毒家族からの嫌がらせから

逃れられない理由になっている人もいると思う。

嫌がらせの程度や内容によっては「家族だから」ということで

完全に切ることを躊躇う人がいるのもわかる。

私も様々な理由から母親の電話を着信拒否にするまで時間がかかった。

(兄の電話は早くから着拒にしてあった)

 

しかし関係を遮断するメリットの方が大きいと判断し

まず手始めに自分で

 

・着信拒否(番号を変えられれば変えたいが他に影響が大きい)

・メールを迷惑メールに設定(かつメインで使っているメールアドレスを変更)

・住所を教えない

 

ということをした。

 

それでもメールに関しては、兄が様々なアドレスで送ってきたり、

女性の偽名で開封通知のソフトを仕込ませたメールも送ってきた。

また、スマフォなどで最初の文を見られないよう

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と記号で上の文を埋め尽くしたメールもきた。

 

わざわざ私の誕生日に送ってもきた。(丁寧に「誕生日ですが…」から始まる嫌がらせメール)

もちろんそれらは、私が今使っていない大昔のアドレスなど知っているアドレス全部に向けて送られてきた。

至れり尽くせりの嫌がらせが確実に私に届くよう手を尽くしている狂人である。

 

また、住所に関しては父親の介護をしていた時、行政や施設、病院の書類に

書かなければならなかったので、それぞれに事情を話し固く口止めをしていた。

 

しかしある日、母から突然荷物が届いてしまった。

びっくりして受取拒否にしたものの、その後も嫌がらせの手紙などが何通も届き、

唯一信頼して住所を教えていた親戚が知らせたのだろうと連絡すると、

“教えていない。父の施設の人が母の目の前で書類を広げた時、母が隙を見て盗み見しメモをしたと母が言っていた”とのことだった。

 

「苦労して産んだのにお前はクズ」みたいな手紙と共に私のヘソの緒も送られてきたので、即ゴミに捨てた。あんな女と繋がってたものなんか縁起悪すぎる。

 

「あんたの夫の勤め先を教えないなんて非常識。教えろ」みたいな手紙もきた。

母と兄が脅しに使うだろうと、私は結婚当初から夫の勤め先は教えていなかった。

親戚にも言っていない。結婚直後に転職もした。

脅しに使いたい兄から聞かれたのにわからなかったから、悔しくて手紙に

書いたのだろうと推測される内容だった。

母は知能犯ではないので、そういう事がダダ漏れる。

夫の情報を言わなくて本当に良かった。

夫の名前はとてもありふれているのも良かった。SNSもやっていないので

検索しても絶対にわからない。

 

そしてもちろん住所は兄にも知られ配達記録郵便で手紙が来た。

「母から聞いたのではなく何らかの方法で調べた」と書いてあった。

嫌がらせの為なら手間を惜しまない兄だが、母から聞いたに決まっている。

調べられる。という脅しなのだろう。

 

手紙類は全て保管して弁護士に預けてある。

 

そんなこんなで自分でできることには限界があると感じ、

区役所で支援措置を申請した。

 

②につづく

モンスター兄エピソード【恫喝・罵倒のバリエーション】

元々親、特に母親に怒りや攻撃をむけていた兄だが、

兄が結婚して少し経ったあたりから、私にも激しく攻撃するようになった。

きっかけと思われる出来事は、いつか書き記そうと思う。

簡単に言うと私が兄の嫌がらせに反論したからだ。

虚言で人を貶めるのは良くないし、私は兄の狂った言動に限界を感じていた。

 

それ以来、びっくりするくらい稚拙な嫌味メールを書いてきたり

母親へ毎日電話を3時間(海外赴任中・会社の電話で)くらいかけて

私の悪口を言い続けてみたり、親族の行事や親の入院などの際に

会ってしまった時は大声で恫喝と脅しを繰り返したりと、

私を攻撃することに執着し、今もやり続けている。

会社の電話使うの、国際電話だし違法ではないんですかね? 

 

 

兄の恫喝や罵倒、恐喝は「殺すぞ!」の勢いで低く大きな声で言うので、

それは本当に恐ろしいのだが、一言づつよく聞いてみると

 

「結婚してないくせに!」

「大学院行ってないくせに!」

派遣社員のくせに!」

「英語喋れないくせに!」

「海外に住んだことないくせに!」

と実に幼稚な悪口も多い。

 

【しかし、幼稚な悪口だけではなく度を越した恫喝や脅し(この後、私の身に何が起こるか覚悟しとけ。殺すぞ。住所を調べて知っている。など)も多々あるので警察に相談して記録して貰っており、今も定期的に様子を見てもらっています。】

 

私は兄の激しい攻撃が始まってからは、相手に燃料を与えない。

というのをかなり心がけているので具体的に攻撃する材料も足りないのだろう。

 

上記は兄が自分のスペックで自慢に思っていることの逆リストなので実にわかりやすい。

自慢というか自分に自信がなくて、そのスペックしか武器がないので常に振りかざす。

母もそのスペックをとても自慢に思っているし、兄嫁もその言動から

愛情ではなくスペックで結婚したんだろうと思う。

 

 

ちなみに、私は兄が結婚した年齢と近い年で結婚したし(兄には言っておらず

母にも強く口止めした)派遣社員だったこともない。

独身の友達も派遣社員をやっている友達もいるし、私もこの先、人生の変化で

独身になったり派遣社員になる事があるかもしれないけど、それの何が悪いのかもわからない。

 

大学院には行ってないし英語も喋れないが、兄より良い学校を出てる頭が良くて語学が堪能な友達に特にそれを自慢されることもない。

そんなことで評価される人間関係なら築かない方がいいし、皆それぞれ楽しく生きて付き合っている。

 

兄は友達がいないようだが(兄嫁談)いたとしてもスペックで選んだのだろうか。

そういえば、子どもの頃母は「勉強ができる子と仲良くしなさい」と頻繁に言っていた。

50過ぎても言いつけ守ってるのだろうか。

 

私の結婚は母の携帯の登録名を見て兄に知られたようだが、

母が「お兄ちゃん怒ってたわよ。結婚を知らせないとは失礼だ。って」

と私に苦言を呈してきた。

 

10何年も虐め続け会うたびに恫喝・罵倒し、悪口を言いふらし、

嫌がらせメールまで送ってくる嫌いな人に、結婚の報告をすると思ってることが

さすが狂人!と驚く。そして、それを私に言う母も狂ってる。

 

怒ったり人を責めたりするのに理由はなんでもいいのだろう。

 

兄は本当に病気だと思うのだが、会社には勤めて仕事をしているのが不思議だ。

いつだったか子どもを長期間虐待して殺してしまった親がいたが、ニュースで

「会社では普通の人でした」と報道されているのを見て、

兄と同じタイプのサイコパスかもしれないと恐ろしくなった。

社会に馴染んでいる狂人が一番厄介だ。