全ては犬の見ている夢だったらいいのに

毒家族の狂ったエピソードと現実的な家族終い

スピリチュアルなことと神頼み

人並みに星占いを読んだり、神社などがあればお詣りしたり、お墓参りをしたりということをやっていると思うが、占いやおみくじはその時納得した内容でもほぼすぐ忘れてしまうし、いわゆるガチなスピリチュアルとは一線を引いている方かと思う。

 

私には守護霊や亡くなった人の霊を信じたくない理由がある。

そういう話は大抵亡くなった家族やご先祖様が見守ってくれるというストーリーで毒親だったり不仲だった場合はあまりに理不尽だ。

心の安らぎになっている人もいると思うので信じている人を全く否定しないが、自分に関しては信じたくない。

 

死んでからも付き纏われるのはまっぴらだし、死んだ途端良い人になるわけないと思うし、生きている間憎んでいた人が私の幸せを願うわけがない。

会ったことがない祖父や祖母が守ってくれてるとしたら、どうしてこんな試練を与えるのかと思う。

生き霊だって迷惑すぎる。

お祓いをしても目に見えて汚れみたいのが取れるわけじゃないので、考えれば考えるほど不安になってしまう。

まして生きていたら物理的に距離を取ることができるけど、相手が死んでしまったり生き霊として付き纏われたりしたとしても見えないのだから、側に来られてもわからない。

もう“自分の精神状態による”ってことになってしまう。

 

良い霊だけついてくれるというのなら信じたいけど、何をもって正しいのかわからないし、自分にとって良いことと人にとって良いことって別の場合もあると思う。

 

なので、私にとって現実的に解決してくれる病院や弁護士さんの方が救いになったりする。

 

いつだか紹介されて占ってもらった時、お父さんのお墓参りはしてね。と言われたが「お墓を教えてもらえず知らないんです。その場合どうしたら…」と話したら

占い師さんが黙ってしまった。「それは…しょうがないわね…」と言われて終わり。

どうしてお墓参りに行った方がいいのかは教えてもらえなかった。

父は生前も私に連絡することもなければ興味もなかったので、生きている間の人格がそのままであれば、お墓参りに行かなくてもなんとも思わないだろう。

 

亡くなった人の霊言は大抵生きている人が都合よく紡ぎ出している。

これは残された人によっては良い面もあるから、仲良し家族のそういうエピソードに関しては全肯定することにしているけれど。

 

 

一方で、京都の縁切り神社には行って強く強くお願いをした。

その界隈では有名な「安井金比羅宮」だ。

友人に誘われて別のレジャーもあったので、すぐ誘いに乗った。

この時は一旦スピリチュアルなものを懐疑的にみるのをやめて、しっかり下書きをして手順通りに心からきちんと祈った。

我ながら困った時の神頼みすぎて申し訳ないけども、私は自分でやれることはやったので、もし神様がいるのであれば本当にお願いしたい状態だった。

 

その下書きを考える時、自分が何を強く願っているのかも再確認できた。実は願い事ってそこが結構重要だったりするのかなぁと思う。

母と兄の実名も書いた。今は完全な縁切りといえる状態ではないので、今ある問題が解決したらきちんとお礼してこようと思う。