2人の死
調停のことなど色々書こうと思っていたが、記録に残してお焚き上げたい気持ちより全てを忘れて自由になりたい気持ちの方が勝ってしまい、なかなか更新できずにいる。
そんな中、先週数年ぶりに親戚の子から連絡があった。「〇〇お姉ちゃん久しぶり!元気?」と。その子は唯一年賀状を送ってくれてる子だったので、ちょうど引っ越しをして住所を非開示にしていることを伝えようと思った。
「元気だよ〜?〇〇ちゃんは?」と返したところ、「実はY婆ちゃんが亡くなって、葬儀に出てきたの。」と。「〇〇お姉ちゃんには知らせたくって」と。
Y婆ちゃんは私の叔母で母の姉だ。
若い頃はお世話になったし、私のことを心配して味方でいてくれた人だ。
結婚した時は、飛び上がって喜んだわよ!と言ってくれ、脳梗塞で倒れて一時記憶障害だった時は、孫の名前は忘れても私の夫のことだけは覚えていた。
ただ、母が親戚中に私の悪口ややってもいないこと、言ってもいないことを言いふらし、年老いて弱ってきた叔母は次第に母の言うことを少し信じるようになっていた。
「あれは酷いんじゃないの?」と責められることもあった。
事実は違うと言っても、叔母と話をする量は圧倒的に母が多いわけで誤解を解くことも難しかった。
そんなこんなで少し疎遠になった頃、叔母から着信があった。叔母の息子の従兄弟に確認すると「あー間違いだね。もうボケ始めてるし」と言われたので、そのままにしていた。その後も何度か着信があったが、全て間違いだろうとかけ直すことはしなかった。
私はもう叔母には会えないだろうな。と覚悟を決めていた。それで後悔はないよね?と自分で自分に確認もした。
親戚の子から、自宅でテレビを見ながら眠るように亡くなっていたと聞き、良い最期だったなと変な話だが安心した。
無理矢理胃ろうをやらされ、体重が半分以下になっても自然に死なせてもらえなかった父に比べれば幸せだと思う。
私は心の中で今までの感謝をして、ご冥福を祈った。
喪主である叔母の息子の従兄弟からは連絡がなかったし、特に何かすることはないが一度お墓参りはしようと思う。
ちなみに絶縁したことを知らない親戚が母に私に連絡するように言ったそうだが、母はきちんと法を守った(笑)まぁ着信拒否しているので無理でしょうが。そして兄にも連絡していないとのことだった。
……そして、親戚の子が「他にも伝えたいことがある」とLINEに書いてきた。
なに?と聞いたら、電話で話したいとのことで、都合の良い時にいつでも。と伝えた。
数十分後、家に着いたであろう親戚の子が実家(従姉妹の家)から電話をしてきた。
あのね。Aも亡くなったの。と。
Aはその子の妹で従姉妹の娘でもある。まだ30代。
私の家にも遊びに来たことがあって、華やかな結婚式にも呼んでくれた。旦那さんとみんなでご飯を食べたこともある。
仕事も人生もとても充実していそうなキラキラ女子だ。
自分で死を選ぶような人生じゃないはず。例え、何かとても嫌なことがあっても、それを解決できる道がたくさん用意されている環境にいたはずだ。
とてもショックだった。今でも信じられない。
その子の最後のLINEは、うちで食べた唐揚げが美味しかったから真似して二度揚げで作ってるんだ!と、たくさんの唐揚げの写真を送ってきてくれたものだった。
唐揚げをたくさん作るってことは家庭がうまくいってると思うよね?
幸せな子にうちのダークな話をしたり、親戚の間で微妙な位置の私があまり積極的に連絡を取るのはちょっと遠慮しないとなと思いつつ、また気が向いたら連絡ちょうだいね。ご飯いこ!なんて
言い合ってLINEが終わっていたのが2年前。
どうして連絡しなかったんだろうか。と後悔して泣き腫らしてしまった。
それを伝えてくれたその子の姉も、〇〇お姉ちゃんになら言えることがあったかもしれない。なんて言っていて、私も「辛いことや自分に嫌なことをしてくる人や嫌な環境からは全力で逃げていいんだよ」ということを伝えられなかったことを、本当に悔やんでいる。
でも幸せに見えたから……
人は簡単に死なないけど、簡単に死ぬんだな。と思った。
2人の死を知らせてくれた親戚の子は、酔っ払いながら私のことも心配してくれていた。「私なんて」って思わないでね。親戚とかナシでずっと友達でいてね。と何度も何度も言ってきた。うちの事情をなんとなく知っているから、心配してくれたのだろう。
ありがたいねと思いつつ「もうおばさんだから大丈夫だよ。楽しく生きてるよ」と伝えた。
電話はスピーカーになっていて、その子の母親である従姉妹とも久しぶりに話をした。自分の娘が亡くなるなんて、想像を絶するショックだと思う。
従姉妹もこれからは前の家族なしでお付き合いしましょうと言っていたが、従姉妹に関しては、まだ信用することができていない。
パワーバランスを考えたのか、母や兄の話を聞いて私を叱責したこともあるし、うちはお宅と違って幸せ家族なんでぇ〜なんて言われたりもした。
突然仲良くしましょう。と言われても能面顔で「そうだねぇ」としか答えることしかできなかった。
まだ色々なショックから立ち直れていないが、ふと娘の名前に「死」という文字をつけたアドレスを送ってくる母を思い出し、本当に死んだら喜ぶのかな。それとも悲劇のヒロインになるのかな。と考えた。
そう考えると死ねないね!
強くなった私は「私なんか…」じゃなく「お前なんか!」と思うよ!
それを亡くなった子に伝えたかったな。
夜中にLINEしたけど返事はない。あたり前だけど。
母の日
法的に関係遮断をしてから初めての母の日だが、世間の母の日ムードにも全く動じなかった。
色々な家庭の人がいるのだから、お店などに母の日一色にするのをやめろとも思わない。インスタで「Happy Mother's Day! 全てのお母さんにありがとう♡」みたいな投稿を見ても、なんとも思わない。私もそっち側の人間だったら、言ってたかもしれない。
誰かが誰かを大切に想うことを否定したくない。
関係遮断をすることで私が一番恐れていたのは、母や兄が親族中に悪口を言いふらすことや、何かしらの嫌がらせをしてくることではなく「自分が少しでも後悔したり悲しくなったりすること」だった。
母や兄が悪口を言いふらすくらいは、私の人生に全く影響はないし、
嫌がらせをしてきた場合の対策もしてある。
どちらも深刻な影響があった場合は法的手段に出るだけだ。
ただ、自分の心だけは「もしかして」とほんの少し心配だった。
そうならないよう自分に正直に向き合い、微調整を繰り返してきたつもりでも。
少しでも涙が出たり危ういと感じたら、カウンセリングに行こうと決めていたが、
幸い関係遮断をしたことによって、すごく心が軽くなり幸せを感じることができた。
母の日も以前は形式的に夫からお花を送ったりして、それについて嫌なコミュニケーションをとらないといけないこともあったが、今は何もしなくていいという喜びというか、とても穏やかな気持ちに過ごせている。
関係遮断をして本当によかったと心の底から思う。
まぁ来世があるなら、あっち側の気持ちも味わってみたいかもね。
調停後に気づいた呪いのアドレス〜進捗状況〜
兄と母が提示した「私の名前+死」というアドレスの問題は、
2ヶ月ほど経つがまだ解決していない。
私の弁護士さんは早々に対応してくださり、まず相手方の弁護士さんに
電話で連絡をしてくださった。
相手方の弁護士さんはそのような意味があるとわからず、そのまま裁判所に
送ってしまったことを謝罪していたとのことだった。
相手方の弁護士さんももし意味をわかっていたら、無駄な争いを避ける為、
止めていただろう。
私も兄の陰湿な性格は重々理解していははずなのに、その場で調べず
気づかなかったことを悔やんだ。
しかし、この件は裁判所などにも連絡がいっており、嫌がらせが記録に残る。
という面ではこれで良かったとも思う。
その後、相手方の弁護士さんは兄に連絡をとったのだが、案の定
メールアドレスにそのような意図はないと言い、色々話をしても任意に変更に
応じようとしないとのことだった。
「
相手方の弁護士さんは兄や母からの都合の良い話ばかり聞いていると思うが、
それでもおかしな人間だととうに気づいているだろう。
その後、正式に代理人(相手方の弁護士さん)を通して書面で兄が被害者ぶった「言い訳」が送られてきた。
想定内の内容かつ、私に嫌がらせの意味が伝わって嬉々としている姿が
想像できる。
母もしてやったりなのだろう。
人に嫌がらせをして満足感を得るということが理解できない。
つづく
調停後に気づいた呪いのアドレス
無事、関係遮断の調停が成立し、弁護士さんとの最後の打ち合わせも終わり、
あとは精算のみというところで、とんでもないことが発覚した。
調停条項の中に“母が入院した時”や“母が経済的に困窮した時”もしくは
“母が亡くなった時”のみお互いが指定したメールアドレスにのみ連絡をして良い。
というものがあるのだが、その条項を入れることになった経緯は他で書くとして、
そのメールアドレスに問題があった。
こちらは日付的な数字とアルファベットを羅列したシンプルで分かりやすいもの、
かつ感情的な意味を持たないものを早々に提示したのだが、
兄と母は調停成立時にあるアドレスを指定してきた。
当日は、先方のアドレスに私の名前が入っていることに困惑したものの
その日に調停を成立させることに集中していたのでアドレスの意味など調べることはなかった。
弁護士さんもそんな余裕はなかったと思う。
しかし、先日ふと私の名前の後に不自然な単語が入っていたのが気になり、詳しく調べてみた。
するとある国の言葉で「死」を意味するものだった。
つまり「私の名前+死」というメルアドだったのだ。
英語ではなく、兄が駐在していた国の言葉だったので誰も気づかなかった。
自分のアドレスに相手の名前を入れることが不自然だし
自分が数年住んでいた国の言葉を使っているので意図的であるのは確実だ。
最後の最後にとんでもない稚拙かつ強烈な嫌がらせをしてきた。しかも法の場で。
この件についての対処は現在弁護士さんに相談している。
「死」という言葉は死んでほしいという意味だろうから
相談を続けている警察署の方にも報告した。
私は、兄の今までの脅しや今回の件は、世間でよく話題になる「
(弱い動物を殺害することから始まり、
調停成立
ついに調停が成立した。
これで法的に母も兄も私に連絡をしてくることを禁じられた。
電話もメールもSNSも訪問も面会も全てだめ。
実質、縁が切れました。
関係遮断については相手方が反論したりもした為、細かく条件をつめた。
暴言や誹謗中傷、名誉毀損なども禁じている為(お互い)、これからこのブログに書く内容も注意して行こうと思う。
もしかしたら過去の記事も少しボカしを入れて修正するかもしれない。
※読んでくださってる方はとても少ないですが
ただし、民法第877条の扶養義務が完全に消えたわけではない。
これを条項に記載してもしなくても、法的には何も影響はないのだが、
この一文を入れたいという母の希望があり、あえて入れたくないこちら側としては
拒否した。
調停委員の方には「実質ほぼ100%関係遮断の中で、お母さんは最後のお守りとして入れたいんじゃないかと思います」と言われたのだが、私は「そのお守りは私にとって呪いです」とキッパリ断った。
私の人格・外見全てを否定し続け、兄のDVに加担し嘘の悪評を流し
私が面倒を見ていた父のお金は全ておろして私に一円もいかないよう対策をし、
親族には私にお金を取られたと嘘の話をし、遺留分の解決金すらまけてきた母が
最後の最後に私に介護をさせようとしている。
これは呪い以外なに物でもない。
「逃さないわよ。」ということだろう。
結局、その一文は入れても入れなくても法的に影響はないと相手方の代理人(弁護士さん)に説得してもらい、削除してもらった。
その他、少し譲歩した部分もあるがそれはこれからどこかに書いておこうと思う。
この調停は父の「遺言無効確認調停申立」として行ったのだが、
実際は「遺言無効確認調停申立」を利用した関係遮断の為の調停だった。
お金の為であれば、調停にせずさっさと裁判にしていた。
遺言が無効である証拠はかなり集めてあったし、父のお金を全て引き出してしまっていた証拠も、警察に相談していた記録など、集められる証拠は相当数集めてあった。
裁判にすると何年もかかる場合も多く、その間に資産の差押をしておかないといけなかったり(差押にもそれなりのお金がかかる)、何より争点が「お金」一点になる為、関係遮断の条項を取り交わすことができない。100%勝訴する保証もない。
調停だとお金を引き出したことも、何年も認知症を患っていた父が亡くなる直前に自分で印鑑すら押せない状態(遺言書に記録あり)で遺言書を作ったことも、認めなければいけないので、貰えるお金はほんの僅かだ。相当な経費もかかった。
母が持っている資産(父の口座から全額引き出した分も)も100%兄に行くと思う。
それより何より私が健康で前向きに生きていくことの方がよっぽど価値があると思っている。
もちろん大きな額なので欲しくないといえば嘘になるし、自分が健康を害した分
請求したい気持ちもあったが、何度じっくり考えてもやはりできるだけ早く関係遮断する方がこれからの人生を豊かに過ごせると思った。
このブログを書き始めたのは、現実的に家族と縁を切る方法を記しておきたかったからだが、これからきちんと整理して記していこうと思う。
成人式
新成人の皆さま、おめでとうございます。
私みたいに違った人生でやり直したいな、と思うことがないよう皆幸せであって欲しい。
私の成人式は何もなかった。大学の友人達がお母さんに用意してもらった着物を着て、写真を撮ったり食事をしたという報告を聞きながら家に一人で居た。
もちろん母からも父からも電話すら来なかった。
娘の成人に興味がないのだろう。
後日、友人達の写真を見てどうしようもなく寂しくなり、母に訴えたが「いくら欲しいの?」とまるでお金を無心しているような言い方をされ、さらに傷ついた。
学校を卒業して何年か経って、ある会話の流れから再度私が祝ってもらえなかったことがどんなに寂しかったか訴えたが「卒業式の袴代、出してあげたじゃない」と怒られた。
確かにそのお金は出してもらった。着付けは友人のお母様がやってくれ、両親は私の袴姿は見ていない。
私はお金を出してもらったんだから、それだけでも感謝しないと。と自分を納得させ、寂しさに蓋をした。
まぁ大人になって、周囲に話を聞くと「何もしなかったよ」という人もいるし、今も恨んでいるとかではないが、両親が私のことを大事に想っていなかったというエピソードの一つだなぁと思う。
お正月
毒親、毒家族がいる人にとってお正月は、とても心に負担がかかるイベントかと思う。
私もある程度の年齢までは、実家に行くことがあったが、毎年楽しみなイベントではなく「お正月は家族と過ごさなければいけない」という世間の圧のようなものを勝手に感じ、実家に行かなければ行かないで孤独を感じたりもした。
子どもの頃はクリスマス同様、形式的には普通に年末年始っぽく過ごしていたかと思う。
おせちもありがたいことに父の仕事の関係で頂いたものなのか買ったものなのか、和洋中と豪華なものが揃っていて、母がおせちを作ったことはないと思う。
私はそんなことより、怒りっぽい母と兄と長い時間過ごすのが嫌だったし、おせちも自分が好きなものを取っていいのかわからなかったし、年越し蕎麦に入っているネギはいつも兄が白く綺麗な部分、私は先っぽの緑の固い所とちょっとした差別をされてたことが気になった。
今思うと些細なことだったりするが、そんなことが気になるほど私は母から嫌われていると感じていたと思う。
実家を出てからは、どこかで書いたように兄が最優先で交通機関の切符を買った後でも「お兄ちゃんが帰ってくるから来ないで(※兄を最大限にもてなす為)」と言われたりした。
その時はホテルを取ったが、そこまでして地元に帰るのは友人達との約束があったからだ。
何年も帰らない時もあったが、それ自体を「白状だ」と責められることもあった。
もう少し経つと今度は母のキッチンの汚さが気になるようになり、母の料理を食べることが嫌になってしまい「ご飯を食べてくるから何もいらない」と言って、少し寄る程度にしていた。母の負担も減っていたかと思われる。
やってやった。という恩を押し付けられるのも嫌だった。
また、兄の標的にされてからは「絶対に兄が来ない日」というのを何度も何度も確認してから行った。
ちなみに兄嫁は必ず前日に具合が悪くなって実家に来ないらしい。
毎年その茶番を繰り返すが、母や兄にとって「兄嫁が行きたくないから行かない」という事実より「来たかったけど具合が悪いならしょうがない」という嘘の方が大事なんだと思う。もはや兄嫁は行かないのが当たり前で、そのストーリーを作っているのは兄かと思う。
そんな我慢や気遣いをしてまで実家に帰らなくていいと悟ってからは、本当に楽になった。私はなんの罪悪感で無理やり実家に行っていたのだろうか。
無理して家族ごっこをすることは悟るまでの必要な過程だったのかな。
今はほぼ縁が切れているので(弁護士さんを通して正式な書面を交わすのはこれからですが)本当に穏やかなお正月を過ごすことができている。
母がどうしてるかとかも全く気にならない。
私から取り上げた父の遺産で兄とご馳走を食べながら、悪口を言ってるのかなと思う。
愛憎劇を繰り返した母と兄の共通の話題はそれくらいしかないのだろう。
想像しても全く悔しくも寂しくもない。
ここまで心が穏やかになるまで私はよく頑張った。毒家族と離れた今が一番幸せだ。
一方、SNSで仲のいい家族の投稿を見たり、友人達から家族とどのように過ごしたとかいう報告を聞くと、まだ少し羨ましさが込み上げてくる。
年末年始に一緒に過ごせる友人や夫がいることに感謝しないとね。