起こるべきして起こった未来
父は母のケガによる入院をきっかけに、ある日家を出ることになり二度と家に帰れないまま亡くなってしまった。
年を取るとそんな日は突然くるものだな…とも思うが、私ははるか昔から予兆があったと思っている。
予兆というか両親の生き様がそういう結果をもたらしたのだろうと。
それをきっかけに私は近い将来、免許の返納をした方がいいのではないか?
生活が不便になるのであれば動けるうちに便利な場所への引っ越しも視野に入れた方がいいのではないか?
など、両親に何度も訴えたが「大丈夫」の一点張りで言うたびにキレられていた。
目の手術は複数回受けていて治療を継続していたようだが、二人とも深刻に捉えておらず、その内容を聞いてもはぐらかし、隠していた。
そうこうしているうち、父に初めて認知症の症状が出ててしまい母はパニックになり
泣いて「お父さんがおかしいの!」と私や親戚中に訴えてきた。
目の手術から2~3年ほどだろうか、今から12年くらい前だったと思う。
家の中にお侍さんや子どもがいるなどの幻視症状やトイレを失敗してしまうなどの症状で、病院に行ったところ「レビー小体型認知症」と診断された。
薬を処方され飲み続けていたところ、母曰く徐々に症状は改善されたらしい。
そして勝手に薬と通院をやめ要介護認定も切れてしまった。
驚くのはその間もその後も免許を返納しておらず、母の足として車の運転をしていたことだ。
私は認知症のことを知った直後、再び何度も返納をお願いした。
「誰かを殺すことになる。」と強く訴えたが、面倒くさそうに「もう治ったの。大丈夫。うるさいわね!」とキレられ免許を返納することはなかった。
そんな時、母が電動自転車に乗って交通事故にあった。それまでも何度か転んでいたが、その時は走っている車と衝突したとのことだった。
この時は結局私が全面的に手続きから介護、退院の付き添いまで全てやりきり、兄のDVなどもありとても大変だった。
退院後、とにかく走り出しが強い電動自転車はやめた方がいい、母の入院中お金を引き出すこともタクシーを呼ぶことすらできないくらいの生活力の父の免許も返納した方がいいと訴えたが喉元過ぎれば熱さを忘れるで、「わかった。大丈夫。うるさい。」の繰り返しだった。
事故の後、しれっとまた電動自転車を買い直し、変わらず父の車で買い物などに行っていたが、ついに父が車の事故を起こした。
それも叔母からのメールで知った。人を巻き込んでいたら…と心臓が止まりそうになりながら母に連絡したところ「タイヤがバーストしたの。バースト!知ってる?バーストって。」と何度も繰り返し、必死にタイヤのせいにしていた。
父の運転で母が後部座席に座って買い物に行った帰りガードレールにぶつかったみたいだが、人を巻き込まなかったのが不幸中の大幸いだった。
母も顔などにケガをしてメガネも破損したが、周りの人がいかに自分の為に動いてくれたかをケロっとしながら嬉々として話していた。
免許の返納をしなかったことを全く反省していない。
そして「お兄ちゃんには言わないでね」とも言っていた。
兄は常に家族を攻撃する理由を探しているため、知られたら強く怒鳴られることが予想されるからだ。
兄は心配からではなく、人の「失敗」が大好物でここぞとばかりに攻撃する。
もちろん私は自分から兄にコンタクトを取ることは皆無なので言っていない。
この事故で両親は軽症だったが車は大破してしまい、親族からの説得もあり結果免許返納となった。
結局事故を起こすまで返納できないなんて、なんて愚かなんだろうと思う。
父は目が悪く認知症も始まっており車のメンテナンスもきちんとできていない。
母が隠蔽した為、詳しく正しい事故原因はわからないが、父がハンドル操作を
誤ったのだろうと推測されるし、万が一タイヤに不備があったとしても
メンテナンスできていないのが悪いと思う。
自業自得以外なにものでもない。
本当に本当に他人を巻き込まないで良かったと思う。
免許の更新をどうやってすり抜けたのか未だに不思議だが更新する前だったのかもしれない。
その後、また母は電動自転車で転んだ。今度は一人で道端で転んだらしいが
数年前の交通事故の傷を痛めてしまったらしく痛みが続いていたそうだ。
そしてある日病院へ行ったところ、手術を勧められ入院することになった。
それを知ったのは、入院二日前の親戚の子の結婚式でのこと。
両親と私を呼んでくれ、母はその為に入院を延期したと言っていた。
会場で会った母は元気そうで、入院も「3泊4日だからへーき」と何度も言っており
この時も「お兄ちゃんに内緒ね」と言っていた。
私が兄に連絡取ることは絶対にないし入院も「3泊4日」で父が付き添えるとのことだったので
私は全く関与するつもりはなかった。
しかし式の最中、父の行動がおかしいということに気づいた。
フラワーシャワーをする為にみんなで花を手に持って、新郎新婦を待っていたところ
父が突然全く知らない人に投げつけたのだ。
びっくりして「ごめんなさい!ちょっと認知症がありまして…」と謝って花を回収した。
また、親戚から父がトイレで迷子になってボーっとしていた。ということも聞いた。
思ったより認知症は進行しており、これは母の入院手術などに付き添えないだろうとのことで
急遽手術の時だけ私が付き添うことになった。
そして手術当日、私は休みをとり朝から病院で母に付き添った。
無事手術が終わった後、先生と看護師さんのお話を聞いて驚愕した。
「入院は3泊4日ではありません。大体1~2ヶ月近くかかりますね。」と言われてしまった。
あれだけ何度も「3泊4日」と聞いていたので、何かの手違いだろうと「え?本当ですか?」と聞くと
看護師さんもと先生から、ため息まじりに「お母様に何度も伝えているんです。
どうしても認めたくなかったみたいで…。こちらからはきちんと何度も伝えています。」と言われてしまった。
長期の入院を認めたくないから「3泊4日」ってことにした!?
今まで様々な母のエキセントリックな言動を見てきた私もこれにはかなりびっくりしてしまった。
母の信じたいものしか信じない。という話を内容は重複しますが別途書きました。
↓
まず頭によぎったのが父のことだ。母は「3泊4日」と伝えており
恐らくそれくらいの準備しかしていない。
ほぼ自分で何もできない認知症の父を2ヶ月一人にしておくわけにはいかない。
4日で帰ってくるなら最悪お風呂に入らなくても洗濯をしなくても
家にあるものを食べていれば大丈夫だろうと思うが、1~2ヶ月となると
事故や火事を起こす心配もある。
正直、私は父の体のことより火事を起こさないかを第一に心配してしまった。
私はその日すぐ病院の相談員さんに相談し、アドバイス通り地域のケアセンターにも
駆け込み、父が安全に生活できる状況を作りだす為奔走した。
実家にも急いで寄ったが、すでに父は自立した日常生活をおくれないと判断できる
状況だった。もちろん母の入院が長引くことには驚いていた。
この件についても別途日記と共に掲載することにする。
とにかく、父はこれっきり家に一度も帰ることなく亡くなってしまった。
病院の受診があるよ。といって連れ出した時以来。
父は「仕事があるから」(※実際仕事はなく認知症の症状で)と病院に行くのを嫌がっていた。
「仕事は明日やろう。今日はお母さんの病院だし会えるよ」となだめて半ば強引に連れて行った以来。
私はできることは全部やった自信がある。
無関心だった父に対して好きという感情はなく、酷いことも言われ
むしろ苦手であったが家で一人で居たら不潔になり、事故にあっていたかもしれない
父の尊厳を守る為、周囲の人に迷惑をかけない為、血縁である娘の私がしっかり任務を遂行した。
それでもこの時のことを思うと後悔とは違うやりきれない想いが込み上げてくる。
もし15年前、母が父の目のことに向き合っていたら?
もし12年前、母が父の認知症に向き合っていたら?
もし動けるうちに免許を返納して、生活に便利な場所に引っ越していたら?
もし母の計画入院の時、きちんと父にとって快適な施設を用意してたら?
もし…と思うことがたくさんあるが、過去を思い返すと元々そういう判断をしてきた人達だった。
もしも…なんて未来はなかった。全部繋がっている。
自分に都合が悪いことは、絶対に向き合わず全部隠してなかったことにしてきたんだから。
生きてきたようにしか死んでいけない。
起こるべきして起こった未来だったと思う。