全ては犬の見ている夢だったらいいのに

毒家族の狂ったエピソードと現実的な家族終い

毒母の交通事故介護①

母が交通事故にあった時の話をいくつかに分けて書いてみようと思う。

兄の攻撃対象にしっかり私が加わった頃の話で、他人が聞いたら

「そこまで攻撃されるということは何かしたのでは?」と思われてしまうくらい

理不尽に攻撃され続けた。

本当に私は燃料を与えることや、無駄に反撃することをしていない。

もちろん謝ったりへつらったりもしていないが、可能な限り関わることを避けてきた。

 

10年以上経った今は数々の出来事を経て、“無視・親族のイベントだろうが絶対に会わない・絶縁”をしているが誰か兄を治療してくれないか、もしくは兄がいなくなってくれないかと切に願う。

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ある日、叔母から「お母さん交通事故にあったみたい。連絡してみて」と

メールがあった。

通常、そういう連絡は父からきてもいいようなものだが、

私に電話をかけたことがないし、もちろんメールも打てない。

何より「無」なのだから、自分から何かアクションを起こそうなどと思わないだろう。

 

母の携帯にメールを打ったが「大丈夫」と何か隠しているような文面で

家の電話に電話しても父が出たので話がよくわからなかった。

 

交通事故は相手があることであり、父では埒があかないと思い

実家に向かった。

実家に行くと母が固定器具をつけてベッドで寝ていた。

 

電動自転車に乗っていて車にぶつかったとのことだった。

救急車で運ばれ色々検査をしたが、打撲と鎖骨が折れただけで

鎖骨は固定バンドで保存療法を勧められ、帰宅したようだった。

 

その固定バンドで自宅で生活するには父の助けが必要だった。

父は元々簡単な食事の用意と簡単な掃除以外は、できることが皆無で

ATMからお金をおろしたり、タクシーを手配したりということもままならない。

父に固定バンドのやり方も覚えさせないといけないし、

母は極度に痛がっていた為、病院に行く時に私が付き添って

先生に相談することにした。

 

脳神経外科では、頭には異常がないし入院したらボケるよ?と

言われてしまったので、整形外科で「父が面倒を見られないこと、

骨が飛び出しそうになっている所が酷く痛み、バンドを固定することが困難なこと」

などを相談した。

 

すると、この病院は満床で入院できないけども、状況的にも

手術・入院した方がいいかもしれないですね。とのことで紹介状を書くので

どこかあたってみて、と言われた。直接他の病院は紹介してくれなかった。

その足で、警察にも付き添い母が事故の状況の説明をした。

 

そして週末、先方の保険会社の人が実家に来るとのことで

父だけでは話ができない為、兄と私が対応することになった。

こんな状況でも兄は私達に攻撃をしかねないので、

私は叔母と叔父に応援を頼み、叔母と叔父の為に実家近くのホテルもとった。

 

叔父はプロジェクトとしてやろうといい、母の介護にかかったお金など、

領収書をきちんとファイルに入れて整理することなどを提案してくれた。

「ここに各自病院に付き添った時の病院代とか交通費とかがあれば

記録しよう」と。

 

すると兄が前に実家に来た時とその日の自分が食べてきたランチ代、

ファストフード店のレシートを2日分出して請求し始めた。

 

叔父は呆れて怒り、それに関しては本当に怒っていると叔母が後から

何度も言っていた。

本当にガメついしどうかしてる。実家に来なくたってお昼ご飯食べるだろうに。

母の事故と関係ない。

 

しかも兄は以前、兄嫁と共に自分達は貴族の舌を持っている。くらいの自慢話を

していて、本場のフォアグラだの生ハムだのを食べていると言っていたのに

本当は安いファストフードを好んでいることにも苦笑した。

 

そして先方の保険会社の人が来てから、また兄の暴走が始まった。

 

つづく