毒母エピソード【留学未遂】
私は子どもの頃英語を習っていたのもあり、高校では英語が得意で
一応英語だけは常に学年上位の成績をとっていた。
そして将来は英語を使った職業につきたいと思っていた。
ある時、海外の高校に1年留学しても日本の高校の単位として認められる制度が
あると知りインターネットがない時代ではあったものの、自分で色々と調べてみた。
お金がかかることなので、親に相談しなくてはならないが中でも費用が安かった
カナダであればお願いできるかもしれないと母に相談した。
兄が小学生の時にアメリカにホームステイしたのもあったし
母は海外に憧れがあったので私ももしかしたらお願いできるかも。と思ったのだ。
母は私が学年一位の成績をとったこともあり、留学試験を受けることを割とすんなり了承してくれた。
私はすぐ先生に相談すると、同じ制度を利用して留学した一つ上の先輩を紹介してくれた。その先輩に電話で色々と話を聞き、試験の日まで猛勉強し情報を集めた。
結果はなんとか合格。
もっと勉強する必要があると、留学エージェントの方に面談で言われてしまったが
とにかく留学できるとのことで私は本当に嬉しく舞い上がり勉強への意欲も満々だった。まだ見ぬホストファミリーとの生活もあれこれと想像した。
合格の知らせをもらってから1〜2週間経った頃、何も連絡がないので
母に「留学のことってどうなったのかな?」と聞いたところ
「あ、あれ?断っておいた」
とあっさり言われてしまった。
私は耳を疑ったが、母はシレっとしている。
「行かなくてもいいじゃない」と笑っていた。
あまりのショックに部屋で大泣きした。
今更母に食い下がっても絶対に行かせてなんかくれない。
なぜ、私と話し合ってくれなかったのだろうか。
なぜ、勝手に断ってしまったのだろうか。
私が先輩と電話しているのを聞いていたのに。努力していたのも見ていたはずなのに。
母は最初から行かせるつもりなんかなかったのだ。
私の夢なんかどうでもいい。
母は私が幸せになることが嫌いだ。
楽しみにさせといてガッカリさせるやり方、母はスカっとしたのだろうか。
私はそれ以来勉強に力が入らず、英語への関心も徐々に薄れ成績が下がってしまった。
「めげずに頑張って将来自分のお金で行けばいい」と悔しさをバネに前向きになれれば
良かったのだが、完全に後ろ向きになってしまった。
何を目指していいのかもわからない。
目指している途中でまた突き落とされるかもしれない。と色々なことを諦めてしまうようになった。
今思えば勿体無い。若さだけで挑戦できることがたくさんあったはずなのに。
でも私には気力がなくなってしまっていた。
話は変わるが小学生の時、突然母に私立の小学校の編入試験を受けさせられたことがある。
私は公立の小学校に通っていて学校になんの不満もなかったし、それなりに楽しかった。友達もいるのに突然転校なんてしたくない。
当然、試験勉強もしたくなかったし落ちた。
50人くらい受けて1人か2人くらいしか受からないと言われてたが
母は私のことを思い切り否定した。子どもながら自分はダメな人間だと思った。
やりたくもないことをやらされて、できなければ否定する。
やりたいことに挑戦しようとしても否定する。
私はどんどん無気力になっていった