全ては犬の見ている夢だったらいいのに

毒家族の狂ったエピソードと現実的な家族終い

毒母の交通事故介護⑦完

 

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退院後、母はみるみる元気になった。

やはり先生の言う通り、日常生活に戻った方が回復が早かったようだ。

 

私は自分の心を回復させる為にカウンセリングに行った。

カウンセリングでは「なぜそこまでして介護するのか」と言われてしまったが、

私は介護については後から文句を言わない。と自分で覚悟を決めてやったことであり、後悔はしていない。

やらされた。ではなく、やりたくてやったこと。として自分で思っている。

当時はその方が自分の気持ちも健全に保てた。

 

しかし、兄の理不尽な攻撃については非常に不愉快でストレスが溜まった。

元気になった母に抗議しても結局兄を庇った。

 

兄は非常に執念深くしつこいので、私を攻撃しといて陰で母らに

「俺が正しくてあいつが悪い」というプロパガンダ活動を欠かさない。

母に何時間も電話してきたり、実家に来る度に必ず話題に出したりと……。

(母から、あなた〇〇したんだって?と事実無根のクレームがくることがあった)

 

そんなことに時間を割かないで、もっと楽しいことすればいいのに。と思うが、

とにかくしつこい。

満たされない想いやストレスを全てそれにぶつけているのだろうか。

 

なぜ自分は常に他罰的で怒りに満ち溢れているのか疑問に思わないのだろうか。

兄こそカウンセリングに行くべきだ。

 

母は概ね兄びいきだが、自分も攻撃対象だったりするので、都度私に同意していることも多々あった。

だが、攻撃対象が自分から私へうつることも都合が良いというのもあり最終的に私が悪い。と言う。

兄のことは自分の人生の失敗にも繋がるので認めたくないのだろう。

 

私は攻撃しないし暴力的ではないので、何を言っても大丈夫と思われてるし

兄が暴れる原因が自分ではなく私、と設定した方が楽なんだと思う。

 

一年後に母のプレートを抜く手術・入院もあったのだが、

また兄が攻撃してくるのであれば介護は無理だとキッパリ伝え、

改めて私がやった事と兄がやった事を話し、何がおかしいのか

しっかり考えて欲しいと話した。

 

しかし、話は通じず「お兄ちゃんは海外で仕事してたからグローバルな

考え方なはず」と意味不明な事を言い出し、兄を貶されたと思ったのか

最終的には「介護したとかほんと恩着せがましい」とまで言ったので

プレートを抜く手術・入院には一切関わらなかった。

 

兄が攻撃しないのであれば、やれることはやるよ。と伝えたにも関わらず

母は「見捨てるのね」と言っていたが、母に関わって兄に攻撃され、私が悪い。

という流れはもうごめんだ。

俺にもできる。兄嫁だってできる。と言ったのだから兄がやればいい。

 

 

なのに私は10年後、また介護することになった。

それはまた別途書こうと思う。

 


毒親介護 (文春新書)

毒母の交通事故介護⑥

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退院の日、病院から実家まで距離があるし高速にも乗らないといけなかった為、

私は車種指定のタクシー会社でベンツを手配した。

当時はプラス2500円ほどだったかと思う。

ゆったりとした車で、身体の負担も少なく気分も上がるだろうと配慮した。

母も「いい車ね」と満足していて嬉しそうだった。

 

実家に到着すると、父と兄が階段の下で待っていた。

うちは玄関まで長い階段を登らないといけない造りだ。

母はしっかりとした足取りで階段を登り始め、父もそれについていった。

私は母のスーツケースやボストンバッグを含む荷物と自分の荷物、

合計5つの荷物を一人で持っていたが、父は全く手伝おうとせず、

さっさと階段を登っていってしまった。

 

え???

と思ったが、とにかく「母を実家に送り届ける」というゴールまであと少し。

私は何も言わず両手に大荷物を抱えて、階段を登り始めた。

 

すると、兄が背後に回り込み、顔を近づけ

「お前いい加減にしろよ!クソが!」「ぶっ殺す」

などと恫喝し始めた。

 

退院日に難癖つけてきたのを一蹴したのが気に入らなかったのだろうか。

もちろん荷物なんか持ってくれない。私は背後から引っ張られたらどうしようと

震えてきてしまったが、何も言わず階段を登った。

あそこで一言でも言い返したら階段から突き落とされてたと思う。

それくらい殺気立っていた。

そしたら荷物を持っていてバランスを崩した。とか言われてただろう。

悔しさなどより、自分の身の安全が大事だ。

 

ふと上を見ると父はさっさと家の中に入ろうとしている。

私は我慢に我慢を重ねて、なんとか母の荷物を運び終えた。

兄を無視し、母から近所の用事を一つだけ頼まれたのでそれを済ませに行った。

帰ってくると兄は私を睨みつけ、再び怒鳴った。

 

私は無視してさっさと帰り支度をし「じゃあお大事に。帰るね」と

母に言って玄関を出ようとしたところ、兄が追いかけてきて低くドスのきいた声で

「お前の身に今後何か起こるぞ。気をつけてろ!」

と言った。

(この件はあまりに危険なので警察に記録を取ってもらいました)

 

私は全力で走って実家から遠ざかった。

私はやりきった。

今まで何を言われてきても、無表情で何も言い返さない。をやり切り、

母を無事入院させて退院させた。

やれることは全部やった。

 

なのに……

 

プッツリ糸が切れて、涙がボロボロと流れてきた。

泣きながら叔母に電話をした。叔母は「よくやった!本当によくやった。

みんなわかってるから。大丈夫。早く帰って赤ワイン飲んで!」

と言ってくれ、私は「赤ワイン」指定なのが面白かったのもあり、

少し気持ちが落ち着いた。

 

友人にも電話し、家の近くのカフェに来てもらうことになった。

友人も「よく頑張った!えらい!」と褒めまくってくれ

赤ワインで乾杯した。

 

後日、母からあの後、兄が母のスーツケースを足で思い切り蹴り上げたり

「介護なんか俺にもできた」だの「〇〇ちゃん(兄嫁)にだってできた」

などと言って暴れていたと聞いた。

 

どうやら親戚が私のことを褒めまくったのが気に入らなかったとのことだ。

 

じゃあ、やればよかったのに。兄嫁は絶対にやらないよ。

こちらはやらなかった事も全く責めていない。

本当にダサい。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

週末、友人宅にて

週末、友人の家で過ごした。飲み会の後、友人宅で深夜まで話しこみ、

うちの家族関係についても心配された。

 

自分の家でも一人の時ももう泣くことはほぼないのだが、

お酒の力で久しぶりに心がほぐれて話ながらポロリと泣いてしまった。

達観したと思ってるけど、まだまだかもしれない。

自己憐憫になることは避けたい。

 

翌朝、友人のお母様が家にきた。私も何かとお世話になっている

とても明るくて元気な方だ。

友人とお母様の冗談を言い合いケラケラ笑う姿は、こんな年齢になっても

心底羨ましかった。

冗談で悪態つき合いながらも、何があっても味方なんだろうな。と深い愛情を感じる。

 

二人で駅まで送ってくれて「元気でね」と手を握ってくれ

見えなくなるまで手を振ってくれた。

 

うちの家族の問題を薄く知る人に「家族なのに」と言われるのが嫌いだし、

家族という閉鎖的なコミュニティが嫌いになってしまったものの

友人の家族に会ったり他人の家族愛に触れるのは、なんだかとても好きだ。

 

本来、無条件の愛情を受け取ったり与えたりする場だろうし

血縁というのが助けになったりもするんだろうな。

 

 

うちは逆に血縁だからこそ、嫌がらせをし続けられてしまう。

他人だったらとっくに縁を切れたのに。

 

母の最後の手紙に「絶縁」と「親戚全員にあなたと付き合うことをやめるよう

言います!さよなら!」ということが書いてあったが、書いて読み返して出して

満足したのかな。

絶縁、早めにしとけば良かったね。あの女は私のなんだったんだ?

 

 

毒母の交通事故介護⑤

 

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母の退院の日が近づいたある日、母から兄と兄嫁がお見舞いに来ると連絡があった。

それでは私は行かない方がいいだろうと、その日だけ私は行かないことにした。

 

すると夜母から電話があり、狼狽し泣きながら

「○○ちゃん、明日来てくれるわよね?絶対来てくれるわよね?」

言うのでどうしたのか聞くと

「お兄ちゃんが、お兄ちゃんが…こんなに迷惑をかけやがって!

迷惑なんだよ、クソババア!って言ったの」と。

どうやら兄嫁と来たものの兄嫁が水を買いに行っている間、

母の耳元で悪態をついたとのことだった。

 

またやった。

私が母の精神状態を安定させる為にきめ細かい気遣いをしてきたのに

退院間際で台無しにしやがって。

迷惑かけてって兄は何もしてないのに何を言ってるのか。

兄は弱っている母を狙って復讐をしていた。

兄は母に愛されたい気持ちと憎む気持ちが拗れまくっている。

 

 

もちろん兄嫁には「迷惑かけやがったから、耳元で脅してやった!」

なんて報告はしないだろう。

兄は兄嫁のことを常に絶賛し、本当に気を遣っている。

無口な父も「いつも神様のように褒めるんだよ、あれは神様だね」と言っていた。

それがとても不自然で本当は幸せではないと思う。

その非常に奇妙な不自然さについては別途書くことにする。

 

 

次の日、母の病室に行くと剥かなくてはいけない生の果物が少しと

母が持てない大きな水のペットボトルが冷蔵庫に入っていた。

もう退院するのに、何も考えてないお見舞いだな。と思った。

叔母に兄達の事を伝えると「本当に最悪ね!」と怒っていた。

 

そして、その日兄からクレームのメールが来た。

要約すると「退院にはまだ早い。お前の判断はクソ。馬鹿じゃねえの?」

みたいな内容だった。

ずっと誰かに文句を言っていないと自尊心が保てないのかな。

 

私は事務的に

・毎日朝晩看病して母の様子を見ていること

・都度先生や看護師さんと経過を話し、退院の日も慎重に先生と相談して決めたこと

・これ以上入院が長引くと、認知症の危険があると言われたこと

・日常生活に戻ってリハビリした方が回復が早いと言われていること

・ゆえに、退院日は変更しません

ということをメールした。

返信はなかった。

 

一応うるさいので別途、退院のスケジュールも伝えた。

 

ここまで兄がやったことは、

・相手の保険会社をいじめて怒らせた

・全ての手続きと介護をしている私を恫喝した

・父のお金を搾取した

・母を恫喝して精神状態を悪化させた

のみだ。

 

さらに退院日も事件を起こした。

 

つづく

 

 

毒母の交通事故介護④

 

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次の②の病院に到着し、また私が母と一緒に診察室に入った。

だが、また「手術は必要だと思うけど、今満床なんだよね」と断られてしまった。

 

医師に私は泣きそうになりながら、どうにかならないか必死に懇願した。

私の必死さに医師は「うーん。一応聞いてみようか」と言って、どこかに電話をし

「個室だったらちょうど一つ空くみたい」と言ってくれた。

 

この際個室でもいい。とはいえ金銭的に心配だったので

大部屋が空いたらすぐ移して欲しい旨を伝え、めでたく入院できることになった。

 

診察室を出て叔母たちに伝えると、さっきまで狂人だった兄が母に

「良かったね!」とか「俺、薬とってくるよ!」とか普通の人みたいなことを

言い出し、さらに自分の手柄のような顔をしていた。

 

その振り幅にビックリしたが、これが一応社会に馴染んでいる狂人なんだろう。

とにかく手続きを進め母は無事入院した。入院する為の準備はしてきていた。

 

個室は、ここがマンションだったらさぞかし高級だろうというくらいの

景色が見える所で母も気持ちよく過ごせそうと言っていた。

 

母の手術の日もすぐ決まり、私は毎日会社に行く前と仕事終わりに

病院に寄って看病した。

家から自転車で、雨の日はタクシーで寄って、母の洗濯物を毎日持ち帰り

夜洗濯して朝持っていった。時には下着の手洗いもした。

私は清潔で綺麗なものをきちんと身につけることが気持ちの前向きさにも

繋がると思っていたので洗濯には力を入れた。

 

とにかくやれることは全部やった。

必要なもの、便利そうなものを買い足したり、母が好きそうな本を買ってきたり

欲しいと言われたものを買ってきたり、脳トレ用にゲーム機も渡した。

 

手術の後は母が痛み止めを飲んでも痛がり、声を出して唸っていたので、

心が落ち着くクラッシック音楽を小さく流して、ほんの少し良い香りを

ティッシュに含ませて枕元に置いたら母は唸るのをやめて眠りについた。

ラクゼーションっぽいことの真似事だが効果があって嬉しかった。

 

実は叔母に「お礼しといた方がいいわよ」と言われて、手術をしてくれた先生に

こっそりお礼も渡していた。

小さな封筒に感謝の言葉と小さく畳んだお礼を入れて持ち歩き

先生と廊下で会った時、誰も見ていないのを見計らって

「先生、本当にありがとうございました」と言ってポケットにねじ込み、すぐ去った。

 

次の日、何も知らない母が「今日先生が手を繋いで一緒に廊下を歩く練習してくれたのよ」と「先生、本当に優しいわ」ととても嬉しそうに言っていたので

効果はあったようだ。

 

個室は気楽に過ごせるものの、高齢者なんかだと孤独を感じてしまう人も

いるそうで母は少し寂しく感じているようだった。

私が母の身体を拭いていると「娘を産んで良かったわ」とポツリと言った。

私は母の役に立てた事が嬉しかったし、このまま母が温和になってくれれば

という淡い期待も抱いていた。

 

「便利だから娘を産んどいて良かった」の意味だったとは知らずに……

 

つづく

毒母の交通事故介護③

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母を入院させる為の計画当日、実家には兄と父が待機し兄がついてくる事になった。

頼んでいないし関わると悪いことしか起きないので、やめてほしかったが

断ったら断ったでかなり面倒くさい。

予想通り、民間救急車の支払いのお金をめぐり一悶着あった。

 

私はATMが使えない父にそういったお金や当面の生活費として

自分のお金を数十万おろして渡していた。

父が民間救急車の支払いの際、兄にお金を持っていかれただかなんだか言っていて、

叔父と叔母も兄がお金を持っていっただのなんだかで怒っていた。

私はその場にいないし、よくわからなかったが後で兄からネチネチとクレームがきた。

私はそれどころじゃなかったし、その場にいた人たちで解決して欲しかった。

 

私と叔母は最初のA病院に待機し、兄の付き添いで母がA病院に到着した。

車椅子に乗り換え診察を待った。

 

私が診察室に付き添い話を聞いたが、A病院では整形外科の手術を待っている人が

多数いて、緊急度からして母の手術の順番は後になってしまう為、

入院できないと言われてしまった。

私はガッカリしたが想定内の事でもあったので、車椅子の母を叔母に任せて

支払いの手続きをしようと受付に向かった。

 

すると、兄が後ろにぴったりとつき低い声で

「お前何やってんだよ。クソが!バカか!オラ!」などと恫喝し始めた。

無視して歩いていると人がいないところを見計らって

「あ?オラ!ふざけんなよ。何やってんだよオラァ!!

どうなるかわかってんのかよお前ぇぇぇ!だからお前はダメなんだ!」

と大声で怒鳴られた。

 

殺すぞ!死ね!の感じで言われたので、ものすごいストレスだったが、

実はこんなこともあろうと友人に相談して対策をしていた。

録音する準備はもちろん、友人が「何かあったら心で唱えろ!」と

すごくふざけた呪文を考えてくれていて、それを咄嗟に思い出した。

 

気持ちを落ち着かせる為のアロマオイルも準備していて、

使い方は間違っているが直接鼻から吸った。

 

とにかく今日は母を入院させる。ということを成し遂げないといけない。

それに集中するのだ。

 

会計を待っている時も兄は、待合室で人がたくさんいるにも関わらず

◎$♪×△¥○&?#$!◎$♪×△¥○&?#$!

と訳のわからない怒りを大声でぶつけ始めた。

どうやら叔母がいる前で私がいかにダメな人間かを伝えたかったらしく

大昔の話までし始め、自分の言ってることにどんどん興奮してきて

抑えきれなくなり顔を真っ赤にして突然走って外に行ってしまった。

 

私は地蔵もしくは能面のような顔をして黙って座っていた。

そんな私に罵倒し続け、突然走り出す兄。かなりおかしな光景だっただろう。

 

外で少し落ち着いたようだが、これはもう本当に脳が壊れているんだな、と

気の毒にすら思った。(病院の待合室から出口までダッシュするのも危ない)

そのまま暴れ倒してついでに入院して欲しかったが、外の空気を吸って

落ち着いて戻ってきてしまった。

 

会計が終わり、車椅子を押してタクシー乗り場に行く途中も兄は

「入院できなかったじゃねえかよ!お前はほんとバカか!だからクソなんだよ!」

と母の前で罵倒した。

 

すると母が「○○ちゃん、お兄ちゃんの言う通りして!ちゃんとやって」

と言い出した。

 

私は何も言い返さないと決めていたが、流石にここまで準備していて5案も

考えてあるのに、ふざけんな勝手にしろ。と思い、

「だったら兄が自分で面倒見られる病院、自分の家の近くの病院を手配して

入院させればいい。私は時間をかけてきちんと何案も考えて準備してきたが、

そうしたいなら全然かまわない。やれるんだったらやってください。」

と言った。

すると兄がまた逆上して「うぉぉぉぉ!お前がぁぁぁ◎$♪×△¥○&?#$!」

と訳のわからないこと言って怒鳴り、よく聞くと「絶対面倒は見たくないんだな」と

思ったので、とりあえず母を次の病院に行くためのタクシーに乗せた。

 

母も「見捨てるの!!」などと言っていたが、私に面倒見て欲しいなら

全員黙ってほしい。

 

 

つづく

毒母の交通事故介護②

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先方の保険会社の方がうちにあがると、兄は録音の準備を始め、

完全に戦闘態勢だった。

兄は揉め事が大好物だし、相手を責めることも大好きなので

かなり張り切っていた。

 

私と叔父と叔母はほぼ見守る態勢で話し合いが始まった。

こういう時は毅然とした態度でいることも大事だが、その方に感情を

大きくぶつけてもあまり意味がない。

やった、やってない。というのも無駄だ。

客観的証拠を元に話し合うしかないのに、兄はネチネチと感情的に

その人を責め始めた。

 

保険会社の方はお茶を一滴も飲まずに拷問を受けているようだった。

私はその方の口が乾き切って、口の端に泡が溜まり唾がネバネバしているのを見て

何度か休憩と水分補給を促したが、断られ一切口をつけなかった。

体調が悪くなってしまうのでは、と心配になったが、兄の暴走を止めることも

難しい。

 

私は見ていられなくなり、叔父と叔母と別室で少し待機した。

叔父と叔母も大変疲れていたが、私たちが口を挟める状況でなく

結局丸4時間強だろうか、兄はネチネチと恫喝の緩急つけながら、

保険会社の方を責め続けた。

 

 

その後、すぐ保険会社の弁護士から連絡がきた。

兄の拷問のせいだ。

 

兄が関わると物事が悪い方に複雑化する。

人の気持ちも考えられないので、自分の欲求を満たすことに全力投球してしまう。

「叔父の葬儀」の時もそうだった。

 

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その後は、うちが入っていた保険の担当者と相手の弁護士の対応を

全て私がやることになった。

相手を責めるだけ責めて大満足したのだろう。母の為なんかじゃない。

兄は何か大きなことをやり切ったような顔をしていたが、荒らすだけ荒らして

何かやったようでやっていない。

 

「○○保険会社はすごく給料がいいらしい、生意気だ」などとも言っていた。

そりゃ、こんなクレーマーいたら、それなりにお金貰わないとやってられないよ。

それに人の給料調べている暇あったら、役に立つことでもやってくれ。とも思った。

 

 

とにかくまず、私はなるべく早く母が入院できる病院を探さなければいけなかった。

私が立候補したわけではないが、兄は面倒見られないというし面倒見たら

お金を請求するという手紙を以前、母に渡していたし、両親と叔父叔母からも

頼まれてたからしょうがない。

 

私は腹を括って「母が入院手術をして無事家に帰ること」までを目標とし、

すぐ動いた。

実家近くの病院だと父がお世話をできないので、私が会社に行きながら

面倒が見られる病院を探した。

紹介状を持って直接病院に行き、いくつかあたるものの「本人を診察しないと」

とのことで難航したが、整形外科の手術の混み具合やベッドの空室状況、

本人を連れてきてからの流れなどはなんとなく知ることができた。

 

友人にも相談し5案まで用意し、母を入院させる為の計画を立てた。

当日は民間の救急車を手配し、母を実家から私の住んでいるエリア近くの病院まで

運び、病院をまわることにした。

 

①A病院 私もかかったことがある大きな病院。私の家から近距離

②B病院 駅から少しあるが、私の家から会社に行く間なので自転車で寄る事はできる

③C病院 Bと同じエリアにある大きめの病院。

④小規模の整形外科病院の看護師長をしていた友人にベッドの空きがあると言われていた。家からも会社からも遠いが友人がいれば安心

友人が医師の友人に聞いてみてくれるとのことだったり、同級生のお父様が整形外科医だったりで、話はうっすらしたもののどちらもお世話になるには気が引けるので最後の最後の手段とした

 

①〜⑤の順で決行することにした。当日、①〜④でダメなら一度母を家に

戻さないといけない。

なるべくきちんとした印象の良い身なりを心がけ、当日に挑んだ。

 

今思えば、なぜこんな苦労しないといけなかったんだろうかと思う。

最初に運ばれた病院から紹介してもらうことがなぜできなかったんだろうか。

日記には整形外科の手術や入院の枠がどこもかなり先まで満杯だったと書いてあったが……

 

つづく