毒母の交通事故介護②
先方の保険会社の方がうちにあがると、兄は録音の準備を始め、
完全に戦闘態勢だった。
兄は揉め事が大好物だし、相手を責めることも大好きなので
かなり張り切っていた。
私と叔父と叔母はほぼ見守る態勢で話し合いが始まった。
こういう時は毅然とした態度でいることも大事だが、その方に感情を
大きくぶつけてもあまり意味がない。
やった、やってない。というのも無駄だ。
客観的証拠を元に話し合うしかないのに、兄はネチネチと感情的に
その人を責め始めた。
保険会社の方はお茶を一滴も飲まずに拷問を受けているようだった。
私はその方の口が乾き切って、口の端に泡が溜まり唾がネバネバしているのを見て
何度か休憩と水分補給を促したが、断られ一切口をつけなかった。
体調が悪くなってしまうのでは、と心配になったが、兄の暴走を止めることも
難しい。
私は見ていられなくなり、叔父と叔母と別室で少し待機した。
叔父と叔母も大変疲れていたが、私たちが口を挟める状況でなく
結局丸4時間強だろうか、兄はネチネチと恫喝の緩急つけながら、
保険会社の方を責め続けた。
その後、すぐ保険会社の弁護士から連絡がきた。
兄の拷問のせいだ。
兄が関わると物事が悪い方に複雑化する。
人の気持ちも考えられないので、自分の欲求を満たすことに全力投球してしまう。
「叔父の葬儀」の時もそうだった。
その後は、うちが入っていた保険の担当者と相手の弁護士の対応を
全て私がやることになった。
相手を責めるだけ責めて大満足したのだろう。母の為なんかじゃない。
兄は何か大きなことをやり切ったような顔をしていたが、荒らすだけ荒らして
何かやったようでやっていない。
「○○保険会社はすごく給料がいいらしい、生意気だ」などとも言っていた。
そりゃ、こんなクレーマーいたら、それなりにお金貰わないとやってられないよ。
それに人の給料調べている暇あったら、役に立つことでもやってくれ。とも思った。
とにかくまず、私はなるべく早く母が入院できる病院を探さなければいけなかった。
私が立候補したわけではないが、兄は面倒見られないというし面倒見たら
お金を請求するという手紙を以前、母に渡していたし、両親と叔父叔母からも
頼まれてたからしょうがない。
私は腹を括って「母が入院手術をして無事家に帰ること」までを目標とし、
すぐ動いた。
実家近くの病院だと父がお世話をできないので、私が会社に行きながら
面倒が見られる病院を探した。
紹介状を持って直接病院に行き、いくつかあたるものの「本人を診察しないと」
とのことで難航したが、整形外科の手術の混み具合やベッドの空室状況、
本人を連れてきてからの流れなどはなんとなく知ることができた。
友人にも相談し5案まで用意し、母を入院させる為の計画を立てた。
当日は民間の救急車を手配し、母を実家から私の住んでいるエリア近くの病院まで
運び、病院をまわることにした。
①A病院 私もかかったことがある大きな病院。私の家から近距離
②B病院 駅から少しあるが、私の家から会社に行く間なので自転車で寄る事はできる
③C病院 Bと同じエリアにある大きめの病院。
④小規模の整形外科病院の看護師長をしていた友人にベッドの空きがあると言われていた。家からも会社からも遠いが友人がいれば安心
⑤友人が医師の友人に聞いてみてくれるとのことだったり、同級生のお父様が整形外科医だったりで、話はうっすらしたもののどちらもお世話になるには気が引けるので最後の最後の手段とした
①〜⑤の順で決行することにした。当日、①〜④でダメなら一度母を家に
戻さないといけない。
なるべくきちんとした印象の良い身なりを心がけ、当日に挑んだ。
今思えば、なぜこんな苦労しないといけなかったんだろうかと思う。
最初に運ばれた病院から紹介してもらうことがなぜできなかったんだろうか。
日記には整形外科の手術や入院の枠がどこもかなり先まで満杯だったと書いてあったが……
つづく