毒母の交通事故介護④
次の②の病院に到着し、また私が母と一緒に診察室に入った。
だが、また「手術は必要だと思うけど、今満床なんだよね」と断られてしまった。
医師に私は泣きそうになりながら、どうにかならないか必死に懇願した。
私の必死さに医師は「うーん。一応聞いてみようか」と言って、どこかに電話をし
「個室だったらちょうど一つ空くみたい」と言ってくれた。
この際個室でもいい。とはいえ金銭的に心配だったので
大部屋が空いたらすぐ移して欲しい旨を伝え、めでたく入院できることになった。
診察室を出て叔母たちに伝えると、さっきまで狂人だった兄が母に
「良かったね!」とか「俺、薬とってくるよ!」とか普通の人みたいなことを
言い出し、さらに自分の手柄のような顔をしていた。
その振り幅にビックリしたが、これが一応社会に馴染んでいる狂人なんだろう。
とにかく手続きを進め母は無事入院した。入院する為の準備はしてきていた。
個室は、ここがマンションだったらさぞかし高級だろうというくらいの
景色が見える所で母も気持ちよく過ごせそうと言っていた。
母の手術の日もすぐ決まり、私は毎日会社に行く前と仕事終わりに
病院に寄って看病した。
家から自転車で、雨の日はタクシーで寄って、母の洗濯物を毎日持ち帰り
夜洗濯して朝持っていった。時には下着の手洗いもした。
私は清潔で綺麗なものをきちんと身につけることが気持ちの前向きさにも
繋がると思っていたので洗濯には力を入れた。
とにかくやれることは全部やった。
必要なもの、便利そうなものを買い足したり、母が好きそうな本を買ってきたり
欲しいと言われたものを買ってきたり、脳トレ用にゲーム機も渡した。
手術の後は母が痛み止めを飲んでも痛がり、声を出して唸っていたので、
心が落ち着くクラッシック音楽を小さく流して、ほんの少し良い香りを
ティッシュに含ませて枕元に置いたら母は唸るのをやめて眠りについた。
リラクゼーションっぽいことの真似事だが効果があって嬉しかった。
実は叔母に「お礼しといた方がいいわよ」と言われて、手術をしてくれた先生に
こっそりお礼も渡していた。
小さな封筒に感謝の言葉と小さく畳んだお礼を入れて持ち歩き
先生と廊下で会った時、誰も見ていないのを見計らって
「先生、本当にありがとうございました」と言ってポケットにねじ込み、すぐ去った。
次の日、何も知らない母が「今日先生が手を繋いで一緒に廊下を歩く練習してくれたのよ」と「先生、本当に優しいわ」ととても嬉しそうに言っていたので
効果はあったようだ。
個室は気楽に過ごせるものの、高齢者なんかだと孤独を感じてしまう人も
いるそうで母は少し寂しく感じているようだった。
私が母の身体を拭いていると「娘を産んで良かったわ」とポツリと言った。
私は母の役に立てた事が嬉しかったし、このまま母が温和になってくれれば
という淡い期待も抱いていた。
「便利だから娘を産んどいて良かった」の意味だったとは知らずに……
つづく