全ては犬の見ている夢だったらいいのに

毒家族の狂ったエピソードと現実的な家族終い

お正月

毒親、毒家族がいる人にとってお正月は、とても心に負担がかかるイベントかと思う。

私もある程度の年齢までは、実家に行くことがあったが、毎年楽しみなイベントではなく「お正月は家族と過ごさなければいけない」という世間の圧のようなものを勝手に感じ、実家に行かなければ行かないで孤独を感じたりもした。

 

子どもの頃はクリスマス同様、形式的には普通に年末年始っぽく過ごしていたかと思う。

おせちもありがたいことに父の仕事の関係で頂いたものなのか買ったものなのか、和洋中と豪華なものが揃っていて、母がおせちを作ったことはないと思う。

 

私はそんなことより、怒りっぽい母と兄と長い時間過ごすのが嫌だったし、おせちも自分が好きなものを取っていいのかわからなかったし、年越し蕎麦に入っているネギはいつも兄が白く綺麗な部分、私は先っぽの緑の固い所とちょっとした差別をされてたことが気になった。

今思うと些細なことだったりするが、そんなことが気になるほど私は母から嫌われていると感じていたと思う。

 

実家を出てからは、どこかで書いたように兄が最優先で交通機関の切符を買った後でも「お兄ちゃんが帰ってくるから来ないで(※兄を最大限にもてなす為)」と言われたりした。

その時はホテルを取ったが、そこまでして地元に帰るのは友人達との約束があったからだ。

何年も帰らない時もあったが、それ自体を「白状だ」と責められることもあった。

 

もう少し経つと今度は母のキッチンの汚さが気になるようになり、母の料理を食べることが嫌になってしまい「ご飯を食べてくるから何もいらない」と言って、少し寄る程度にしていた。母の負担も減っていたかと思われる。

やってやった。という恩を押し付けられるのも嫌だった。

 

また、兄の標的にされてからは「絶対に兄が来ない日」というのを何度も何度も確認してから行った。

ちなみに兄嫁は必ず前日に具合が悪くなって実家に来ないらしい。

毎年その茶番を繰り返すが、母や兄にとって「兄嫁が行きたくないから行かない」という事実より「来たかったけど具合が悪いならしょうがない」という嘘の方が大事なんだと思う。もはや兄嫁は行かないのが当たり前で、そのストーリーを作っているのは兄かと思う。

 

そんな我慢や気遣いをしてまで実家に帰らなくていいと悟ってからは、本当に楽になった。私はなんの罪悪感で無理やり実家に行っていたのだろうか。

無理して家族ごっこをすることは悟るまでの必要な過程だったのかな。

 

今はほぼ縁が切れているので(弁護士さんを通して正式な書面を交わすのはこれからですが)本当に穏やかなお正月を過ごすことができている。

母がどうしてるかとかも全く気にならない。

私から取り上げた父の遺産で兄とご馳走を食べながら、悪口を言ってるのかなと思う。

愛憎劇を繰り返した母と兄の共通の話題はそれくらいしかないのだろう。

想像しても全く悔しくも寂しくもない。

ここまで心が穏やかになるまで私はよく頑張った。毒家族と離れた今が一番幸せだ。

 

一方、SNSで仲のいい家族の投稿を見たり、友人達から家族とどのように過ごしたとかいう報告を聞くと、まだ少し羨ましさが込み上げてくる。

 

年末年始に一緒に過ごせる友人や夫がいることに感謝しないとね。