全ては犬の見ている夢だったらいいのに

毒家族の狂ったエピソードと現実的な家族終い

クリスマス

この時期になると、SNSなどで幸せな家族のクリスマスの準備や様子が目に入ってくる。

子どもがいる友人たちは、ケーキをどこで予約するだとか何が欲しいと言ってるだとか、少し面倒くさそうなそぶりも見せつつ準備を楽しんでいるよう。

 

自分が子どもの頃のクリスマスは、意外にも形式的にだけ普通だったと思う。

状況と登場するアイテムだけ聞けば「毒家族ではなかったのでは?」と言われてしまうかもしれない。

ツリーもケーキもあり、幼少期にはプレゼントらしきものもあった。

 

ツリーは微かに飾った覚えはあるものの、いつの間にかなくなっていた。

ケーキは父の仕事の関係でなぜか毎年たくさんあった。そのおかげで、ありがたみがわからなかったのと、甘いものが苦手だった私は苦痛でもあった。

 

同じくそんなに甘いものを食べなかった兄に「俺は食べた。お前があと食べろ」と強制されたり、朝ご飯の代わりに私だけ数日連続してケーキが出てきたりした。

兄は白いご飯とおかずの和食なのに。

贅沢だと言われそうだが、うちは物質的に恵まれてたとしても、常にネガティブな要素がつきまとってくるので幸せの本質とは、そういうことではない。ということがよくわかる例かと思う。

 

プレゼントに関しては欲しいものを買ってもらった記憶はないが、小学校低学年くらいまでは何か文房具かお菓子みたいなものを貰った気がする。

 

最後の記憶として、家族でどこかに買い物に行った時、私は車で寝てしまいふと目が覚めると、ゲーム機の大きな箱を抱えた兄と両親が車に戻ってくるという光景が残っている。

寝てしまった私を車に置いて、兄にだけクリスマスプレゼントを買ったみたいだが、母は良い成績をとったご褒美をかねて。と言っていた。

 

当時は、悲しいけど私は良い成績をとらなかったから買ってもらえないのは当たり前だ。と思っていた。もちろん子どもだったので悲しいという気持ちの方が大きく、それを「自分はダメな子だからしょうがない。自分が悪い。」と自分で自分を納得させた。

 

そんなこともありつつ、うちのメインイベントは兄が小学生の時短期留学(留学というほどでもないほど短期の)でお世話になったホストファミリーから届く段ボールいっぱいのプレゼントだった。

 

細かく一つ一つ綺麗な柄の包装紙で包んであり、そこに誰宛か手書きで書いてあるもので、段ボールから自分の名前を見つけるのがとても楽しみだった。

当時の日本では見たことがないアメリカの雑貨やピアスなど、少し大人びたアイテムにワクワクし、何より自分にあれこれ選んでくれたことがとても嬉しかった。

私も留学したいな、と思ったきっかけになった出来事でもある。

できなかったけど。

 

noemie.hatenablog.com

 

うちからも同じように段ボールいっぱいに、細々と日本の文房具など色々なプレゼントを入れて送っており、その買い物に付き合うのだけは楽しかった。

 

あと毒母らしいエピソードといえば、そのホストファミリーに私と同じ年頃の男の子がおり、「○○と結婚できるといいわね。ハーフなら可愛い子生まれるかもしれないし」と言っていたことだろう。

 

今振り返ると、全部ハリボテのような、なんていうか仏作って魂入れずとも違うし

とにかく「ケーキ プレゼント ツリー」はあるのに幸せな思い出になっていない。

こういうのなんていうんだろうね、なんだかうまく言えないけれど虚しい思い出である。