全ては犬の見ている夢だったらいいのに

毒家族の狂ったエピソードと現実的な家族終い

普通の毒家族

父はサラリーマン、母は主婦をしながらたまにお花の先生

も私も普通に学校に行っていて、持ち家があって車もあった。

学校に行けなかったことも、ご飯が食べられなかったこともない。

父は真面目に働いてたし、表面上は何も問題がないように見えていたと思う。

 

子どもの頃はそんな条件さえ揃っていれば普通の家族だと思っていた。

 

今みたいに【毒親】なんて言葉はなかったし、産んで貰った親に感謝しなさい。

育てて貰った親に感謝しなさい。親孝行しなさい。というのが世の流れだったし、

何より子どもの頃はまさか親が自分の事を嫌うだなんて思わない。

 

たまにニュースで見る子どもの虐待のニュースは他人事だったし、

ごく一部のおかしな人がおこした暴力事件と認識していた。

 

しかし

なぜいつも怒られるのか。なぜいつも否定されるのか。

なぜいつも悪いことばかり言われるのか。なぜ私はダメなのか。

なぜいつも母と兄は怒っているのか。なぜ父は何も言わないのか。

そしてなぜ私は幸せじゃないのか……

 

つねに自分の中にある違和感、怒り、悲しみの感情の原因は

自分が悪いからだとも思っていた。

 

子どもの頃の自家中毒もストレスとは思わず、単なる体質だと思っていた。

アセトン血性嘔吐症(アセトンけっせいおうとしょう、acetonic vomiting)は、過労、精神的緊張感染などによって誘引される嘔吐症で、血中にケトン体アセトン)が多い状態になる。自家中毒(じかちゅうどく)、周期性嘔吐症(しゅうきせいおうとしょう)などとも言われる。小児に多い疾患で、2-10歳に好発する。

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

母に激怒されながら習い事に行く前、マンションのエレベータに映る自分を見て、

この人は誰だろう。自分って何だろう。生きるって何だろうと何度も考えた。

 

学校は楽しかったし文化的なことも運動も好きだったけど、

子どもがこんな事をずっと考えているのはおかしい。

あの頃インターネットやスマホがあったら、時代が違ったら…

もっと早く気づけたかなと思ったりもする。

 

 

実家を出て一人暮らしを始めても、年をとるごとに心の中の違和感は

徐々にむき出しになり自分の心と身体を蝕んでいきました。

 

うちのようにあからさまな肉体的暴力・経済的困窮などがないと

気づきにくく、理解されにくい為、答えを出すのに時間を要してしまいました。

 

淡々と綴っていきます。