全ては犬の見ている夢だったらいいのに

毒家族の狂ったエピソードと現実的な家族終い

毒家族紹介

“ヒステリックな大声モンスター”の

母は多動で色々なことに手を出すので家が散らかっているタイプだった。

話もあちこち飛びやすい。さっき言ったことと正反対の事を言ったりもする。

声は大きくヒステリックだった。

 

そんな母はとても教育熱心で、私と兄に3歳からあらゆる習い事をさせていた。

ピアノ、ヴァイオリン、水泳、公文、英会話、バレエ、スキーなど……。

 

習い事は家族以外の他人が介在するし、音楽や運動が好きだった私は

好きになる要素ばかりだったはずなのに、自分が否定される材料となっていた為

とても苦痛だった。

一週間全て親の管理でスケジュールが埋まっているのも辛かった。

 

単体で見れば楽しいものもあったはずで、嫌で嫌でしょうがなかったという部分が

本当に残念で勿体無い。

好きで続けていたら、どんなに楽しかっただろうと思う。

 

唯一バレエは自分からお願いした習い事だった。

一通り水泳のカリキュラムが終わって辞める事になり、

渋々ではあるが水泳の代わりということでやらせてくれた。

 

仲の良かった友人がバレエ・ジャズダンス・タップダンスを習っていて

小学生だけどパーマをかけていて、その子の明るくおしゃれな雰囲気に憧れていた。

 

母は「ダンスは不良になる」など意味不明な事を言って

辞めさせたがっていたので、中学一年生の中間テストで母の希望する偏差値に

たった「1」届かず、すぐ強制的に辞めさせられた。

その時の言葉は未だに忘れない。勉強も頑張るからバレエは続けたい。と懇願したが

「あんたは大きくてバレリーナになんかなれないから無駄。

そんな図体の人いないわよ。」と嘲笑していた。

ちなみに当時159cm38kgだった。

 

その他の習い事はできなければ激しく叱責し、いかに私がダメ人間かを

何度も何度も繰り返し言われた。

ある時、ヴァイオリンの練習時に激しく怒られ、ほぼ下着姿でマンションの廊下に

放りだされてしまった。玄関の横にうずくまっていると母が出てきて

「そんな姿で外にいるの恥ずかしいじゃない!入りなさい!」と怒られ

中に入れられた。

母はそんなダブルバインドを日常的に繰り返していたので

私は常に母の顔色を伺うような子どもだった。

 

直接的な暴力はほぼなかったものの、とにかくいつもヒステリックで

物を投げたり物にあたったり大声を出したりと常に支配的だった。

 

私は未だに大きな音が苦手だ。

 

“完全な無”の

父はヒステリックに怒る母を常になかったことにしていて、

子どもに対しても本当に「無」だった。

父を漢字一文字で表すとしたら確実に「無」だ。

好きな言葉は「事なかれ」なのではないだろうか。

父の少ない発言から察するに子どもや動物は嫌いだったと思う。

 

父と最低限必要な会話以外、喋った記憶もない。スキンシップをした覚えもない。

父が亡くなるまで父から手紙はもちろん、電話すらももらったことがない。

誕生日も成人した時も入学した時も卒業した時も、病気で入院・手術をした時も、

何かしらの言葉すらかけてくれなかった。

 

唯一私に対して父が意思表示したことといえば、私が手をつけたものは汚いので

食べ物のシェアはしたくない。作ったものも食べたくない。ということだった。

元々は赤ちゃんの頃、私が兄よりヨダレが多く出ていたことから始まったようだが

父が「〇〇が手をつけたものは汚いからな」と笑顔で何度も言っていたのが

ショックで子どもの頃は泣いていた。

直接泣いて訴えたこともあるが、父は黙っていた。

その姿を思い出すと「早く終わらないかなー」とでも考えていたのかと思う。

黙って外に散歩に出てしまったこともあった。

 

次第に私は自分が手をつけたものを父が避けるところを見たくなかったので

取り箸を使っていること、手をつけていないよということを強めにアピール

するようになった。

 

高校生の時、私が夕飯にカレーを作った時は父は一切手をつけず

別のものを食べた。母はお父さんカレー好きじゃないのよ。と言っていたが

その後カレーは好きだということを本人から聞いている。

一見私をフォローしたような母の発言も父を庇ったものだった。

 

この経験は私の妙な潔癖さの原因になっていると思う。

初めて恋人に料理を作る時、彼に手術前の医師のように手を挙げて見せ、

「手、綺麗に洗ったからね!」と言って不思議がられたことがある。

また、ある程度の年齢まで自分の料理を人に食べてもらうことが怖く苦手だった。

 

“陰湿モンスター”の

兄は母親から溺愛されたものの能力以上に期待されすぎたり、

条件付き愛情を与えられたりして完全な陰湿モンスターに仕上がった。

 

苦しみながら国立大学の大学院まで行ったものの、大学生の時に「死のうと思った」と

言っていたことがある。

兄なりの苦しみがあったのかと思うが、今となってはそうすればよかったのに。

と私は思うほど人に不快さと危害を与える人間だ。

兄のことを好きだという人は、この世にもあの世にもいないだろうな。と思うほど、

酷い人格障害かと思う。

 

兄も数々の習い事をさせられたり塾の合宿に行ったり、アメリカにホームステイに行ったりと色々と詰め込まれ、将来は医者か弁護士に。と母親に期待されていた。

100万くらいのヴァイオリンも買ってもらっていた。

確か医学部は落ちたと思われる。

今は普通の会社員で海外駐在したことをとても自慢に思っている。

 

うちは手狭なマンションだったので、兄が家で勉強している時は

静かにしていないといけなかった。

うるせえ!と凄んでくるので、父はいつも一人イヤホンでテレビを見ていた。

中学高校の時は反抗期なのかと思ったが、物心ついた時からずっと怒っているので

そういう性格なのだろう。兄の笑顔を見たことがない。

兄嫁の実家に行った時も「笑わない人」と言われたみたい。と親が言っていた。

サイコパスの兄が結婚できたのもびっくりだが、

兄嫁はセレブ生活に憧れ海外駐在員目当てで結婚したであろう変わった人だ。

 

 

私が小学生で兄が中学生の時、こんなことがあった。

兄が「図書館で勉強してくる。」と言って私の自転車で出かけた。

私はそれを知らずにゲームセンターの前に私の自転車が止まっているのを見かけて、

帰宅後「私の自転車がゲームセンターにあったんだよ」と母と兄の前で話したら

兄がものすごく激怒して「ゲームセンターに行っていない!図書館にいた!」

「おまえは馬鹿か!」とひどく罵られてしまった。

 

私は自分の自転車がなぜゲームセンターにあったかわからず

火に油を注ぐように「でも絶対私の自転車だった。近くまで見て確かめたし

シールも貼ってあったし」と言ってしまい大泣きするまで責められた。

 

今なら空気を読んで「これは面倒になるから見間違いってことにしておこう」と

言うと思うが、私も子どもだったから自分は嘘を言っていないよ。という事を

主張する方が大事だった。

 

兄は母の前で常に正しくいなければいけないという気持ちが強く、

嘘をついてでも人を攻撃してでも「正しい(と思われる)自分」の姿を守った。

この性質は大人になってからもずっと続いており、後に大変な虚言癖マンとなる。

 

子どもを過度に抑えつけると嘘をつくことがあるけど、

兄の場合は50過ぎてももやっているので重症だ。

嘘の設定もお手のもので、無から壮大な被害妄想義憤ストーリーを創りだす。

自分を良く見せる為の嘘は序の口で、自分の創り出した偽物語に激怒して興奮し

怨み攻撃し続ける。

他人の失敗や苦しみ、悲しみに深い満足感を覚えるタイプでもある。

 

あまりに理解できないので兄の事をカウンセラーの人に相談したら

何らかの診断がつくとのことだった。

 

兄の人格障害は母の育て方による影響も大きいけれど、自分と向き合わなかったし

人を執拗に攻撃するので1ミリも同情の余地はない。

大声でヒステリックに人を威嚇するところは母親からしっかり伝統継承されている。

 

兄は本当にやばいので一度母にパーソナリティ障害の本を渡したことがあるが

“お兄ちゃんがそんなわけない!そんな事を言ってくる私が悪”という事で一蹴されてしまった。

 


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